国道197号線の思い出
この記事はこちらからの続きです。

佐賀関を目指す道すがらの写真です。
国道197号線です。かつては国道197号線は、特にバイク乗りの方から「酷道197(行くな)」と言われるほど曲がりくねった、通行に気を遣う道だったようです。海を隔てた愛媛県側まで伸びています。
この道を初めては知ったのは大学生の頃です。この旅行記で登場した時で生涯3回目の通行だったと思います。
大学生の当時、私は福岡発―大分経由―豊予海峡横断―愛媛(泊)―高知(泊)―鳥取(泊)―兵庫城崎温泉(泊)―神戸より阪九フェリーで福岡へという旅をしたことがあります。
車で遠出をしたのは初めての事でした。その時の事を書いてみたいと思います。(当時の写真は一枚もありません。)
こんな旅行を思い立ったのは、純粋に四国に行ったことが無かったこと。自動車を使った旅行をしてみたかったこと、などなど暇があったからなおさらで思い立った旅行でした。

1日目は福岡を出発したらまず国道10号線を経由して杵築(国東半島の南側の付け根の部分)へ向かいました。
ここに寄ったのは当時付き合っていた彼女が親戚のうちに遊びに行くので、ついでに乗せて行ってほしいと言ったからです。
専門用語でいうと「アッシー」ですね。今となっては実にどうでもいい話です。

杵築市は城下町でもあり、ちょっと散歩したら武家屋敷のような所も残っていました。
現在は観光地として整備されたようですが、当時は少しくたびれた感じでそれほどでもありませんでした。

JR杵築駅から杵築市の中心部までは少し距離があり、かつては大分交通国東線(1966年廃止)が走っていた街です。
現在杵築市内の中心街にある杵築バスセンターはかつての大分交通杵築市駅跡で、年配の方だと現在で「市駅」と言うのだそうでした。どうでもいいですけど。
杵築までアッシーをして姓名不詳の誰かを下ろした後は単独でどんどん南下しました。
当時は高速道路も走っていなかったので、ずっと国道10号線を使いました。大分市内などは渋滞していたと思います。

四国に渡るのに使ったルートはこの国道九四フェリーでした。
当時別府―八幡浜、臼杵―八幡浜、佐伯―宿毛とその他3つのルートが有ったのですが、この佐賀関から三崎を結ぶルートが一番安かったのです。
それからその時は台風が北上していて、四国に渡れるか少々心配していました。何となく不安を感じて乗船時間が短いこの航路を選んだのもあると思います。(あやふやです)
ターミナルには車があふれていました。私は予約していたから大丈夫でしたが、乗船できない大型トラックのドラさんなどは少々焦った表情で、公衆電話で他のフェリーターミナルに電話して乗船できるか確認している人もいました。

私はフェリーに乗ったのは高校生の頃の阪九フェリーが初めてでした。(詳細はこちらをクリック)
その後も大学のクラブの遠征などで使った程度。(詳細はこちらをクリック)
国道九四フェリーの船があまりに小さく見えて不安を感じたものです。
料金も長距離夜行フェリーと比較すると割高に感じました。当時乗っていた車が4メートルちょっとの長さがありました。
5メートル未満の車の料金が適用されるから、財布に響きました。10センチ刻みの料金にしてくれたらもう少し安くなるのに・・と思ったものでした。

船内は桟敷席ばかりだったような気がします。
台風の雨も強くなり出した時だったから、船酔いするのではないかと心配しましたが、そうでもありませんでした。
ただ船は右に左にと緩やかにローリングしながら進むのは微妙に心配しました。

三崎港に着岸して・・

四国に降り立った時はちょっと嬉しかったのですが、既に真っ暗。
ヘッドライトを点けて下りるのですが、照らし出された乗船待ちのレーンには多数のバイクが乗用車やトラックの並ぶレーンの先頭で待っていました。みんな雨合羽を着ていたのがとても印象に残りました。

船の予約ができないと悲惨だな、と思いつつ真っ暗な中、国道197号線を走りました。

宿泊したのは八幡浜センチュリーホテルイトーでした。
今でこそ民宿ばかりを選んで宿泊していましたが、当時は何となく不安でホテルを選んでしまったのです。
宿泊ガイド本を見ると、宿泊料金は物凄く高い訳でも無いと思っていました。しかし何てことは無い、民宿は基本1泊2食付きの値段、ホテルは素泊まりの値段で表記されていたのです。もちろんホテルは綺麗だったけど、食事代も追加されると思うと当たり前に割高でもありました。
夕食は八幡浜の商店街の中の食堂で食べました。豚のしょうが焼き定食だったかな?その後社会人となって、私が愛媛で仕事をしていた頃に一度八幡浜に来たことがありました。その時は学生時代の旅行で私が食事をした店は営業していましたが、最近通りがかった頃(詳細はこちらをクリック)はもうやめているようでした。

翌日は国道56号線を使って足摺岬に向かうことにしました。
当時は高速道路は無かったので、延々と下道を使って宇和島市も経由しました。宇和島市内のアーケードのかかった商店街も賑やかそうに見えました。お金に余裕が無かったので、車を止めて歩いてみることはしませんでした。どうせ何か欲しいものが有ったとしても、買う余裕は無かったのです。
足摺岬に到着する頃には横殴りの雨で、写真とは違って、荒れ狂う太平洋は鉛色で、空も灰色でした。私以外は観光客はいませんでした。

確かこの手の看板が立っていたと思います。
「早まるな」とか「考え直せ」とか書いてあった記憶があって、やっぱり自殺の名所なんだなと思いました。一人でウロウロしているから、傍から見ると私が心配されているのではないかと感じました。

その日は横殴りの雨の中、高知市まで進んで、高知市内のビジネスホテルに泊まりました。
実は前日の八幡浜のしょうが焼き定食を食べた店で、常連と思われるお客さんとおしゃべりしました。
「なんでそんな高い所に泊まるの?」「民宿にすれば食事が付くのに。」などと言われました。今度は民宿に泊まってみようと思って調べてみたのですが、高知市内に民宿っぽい所を見つけることはできませんでした。
宿泊したホテルがどこだったか記憶もありませんが、フロントでは私以外に雨合羽を着たままのライダーさんが疲れた表情でチェックインの手続きをしていました。
今考えると県庁所在地の高知市では無くて、少し手前の伊野町やもう少し先の安芸市などで探せば民宿はあったと思います。
全く旅慣れていなかったのでした。
そしてその日の夕食は食費を浮かせるためにコンビニのお弁当を食べたような覚えがあります。
翌朝は何を食べたのでしょうね?多分節約するためにホテルの朝食は摂らずに、コンビニのオニギリか何かを買って、移動する車の中で済ませたと思います。
幸い台風は夜中のうちに通過していました。
しかし雨が残った状態で、高知と香川を結ぶメインストリートの国道32号線は降水量が規制値を超えたため、通行止めでした。
やむなく高知自動車道路へ入りました。

車に積んでいたロードマップも中途半端に古いものだったから、地図上ではまだ開通していませんでした。
何とかなるだろう!と思って進むと幸い(当時の時点で)高知自動車道路は開通した状態で、香川県まで抜けた時はホッとしました。そのまま瀬戸大橋で一気に岡山方面へ。

瀬戸大橋通過中の図。
これを見た時は、スケールの大きさに圧倒されました。
そして、あっという間に四国から中国地方に渡りました。九州から四国に渡る時、船が出るだろうか心配したり、乗船できなくて困っている人を見たので、画期的だと思いました。
しかし早島料金所で料金を精算するときは、橋の通行料の高さに驚愕しました。
少しでも料金を節約するためにハイウェイカードを購入していましたが、見る見るうちに金額が減っていくので、ほうほうのていで下道へ。
取り敢えず岡山県新見市方面へ向かいました。
当たり前だけど、下道を使うと時間がかかりました。だいたい平均時速30キロくらいでしか移動できないのだなと思いました。
この辺りの実地体験はその後このブログに出てくるいろいろな旅行記を計画するときに生きています。

やがて新見駅に到着。
根が田舎者の私はこんな駅の風景を見るとホッとしました。
時間も正午を過ぎた頃だったので、急にお腹がすきました。

駅のすぐ傍にイイ感じのお好み屋さんを見つけてそこで食べました。
中年の女性が一人で切り盛りしていたのですが、女子学生さんに人気のある店のようで、皆親しげに女性に話しかけていました。
「爪を切る時深爪してしまって痛い」とか言いながら、その指を時々ぺろぺろ舐めながら焼いていました。
今考えると何だかなみたいな感じですが、女子学生さんたちに人気があるのも分かるような気がする店でした。
その後社会人になって再び新見駅に訪れた事があるのですが、駅前は再開発されたようで、お店は無くなっていました。
次の宿泊地は鳥取市と決めていたので、そろそろ宿泊場所を取ろうと思ってガイドブックを見ながら電話をしました。
ところが、鳥取市内はどこをかけても空室なしでした。
やばい!と思いながら、思い切ってガイドブックの上位にあるお高めのホテルに電話しても満室。
「今日は野宿か~」と焦って来ました(今の私ならわくわくするところですが)。
でも、ふっとその手前の小さい町ならどこかあるのではないか?と思って地図を見ると、鳥取市の少し南側に郡家町という町があるに気付きました。そこで郡家駅駅前に有るらしい民宿に電話すると、
「えっ!宿泊ですか!良いですよ~!」とすごく嬉しそうな様子の返事をもらいました。
ところがその直後「あっ!でもAコープが閉まっているから、夕食は出来ません。朝食だけは用意しますけど。」とも言われました。

料金はと言うと、鳥取市内で宿泊するよりはるかに安価。嬉々として郡家駅方面へ。
民宿は本当に駅前にありました。確かエアコンは無かった気がしますが、8月だけど苦痛になるほどではありませんでした。
夕食は駅前に有った大衆中華料理屋に行ったような???
朝食はその民宿の、いかにも一般の家の応接室みたいな部屋で、これまたいかにも民宿の食事らしい和食を頂きました。
翌朝は最後の宿泊地城崎方面へ。
日本海側のひなびた風景を見ながらの移動は楽しかったです。

何だか急に魅かれて三尾と言う集落にも寄り道しました。
現在は平家の落ち武者伝説のある集落のようです。

そして余部鉄橋も見てみました。
鉄ヲタさんならご存知と思いますが、昭和61年に強風にあおられて回送列車が転落する大事故が発生したところです。
鉄橋のスケールもさることながら、大きな供養碑があるのも何とも言えない気持ちになりました。

この時の旅の最後の宿泊地は城崎温泉。
学生なりに奮発したつもりでした。一応2食用意してくれる旅館を探して宿泊しました。
旅館は写真のような有名な川沿いの通りから多少奥まったところに有る、くたびれた印象の旅館でした。
外湯巡りもしました。社会人になってお金に余裕が出来たら、もっと良い旅館に泊まりたい!とも思いました。
翌朝はいよいよ北九州方面へ帰る日です。
このまま車で帰るにはしんどいと思っていたので、神戸まで行って阪九フェリーで帰るつもりでした。

取り敢えず福知山市方面へ。
城崎温泉から下道を使って神戸に向かうと時間がかかりました。
平均時速30キロでしか移動できないとわかったので、道草は食わないようにしました。(写真のような福知山城をチラッとでも見た記憶もありません)
フェリーの中のレストランは学生には高めだとわかっていたので、国道沿いのホカ弁屋さんで2つくらい弁当を買いました。それとは別にポテトチップスなどの菓子類も買い込んだと思います。

三田市付近ではずらっと並んだ高層マンションに圧倒されたり、神戸市に近付いた時、どこの有料道路か分からない道を通る時は
道路の左右にまばゆいばかりの連れ込み宿が連立しているのに驚かされながら、なんとか六甲アイランドに到着。
ここでも学生時代の私にとって自動車の航送料金は懐に響きました。当時の宿泊ガイドブックはまだ手元に残っていますが、メモ紙が1枚挟まっていました。
それには「阪九フェリー12980円」と書かれていました。多分これだけのお金は用意しておかないと北九州まで帰れないぞ!と自分に言い聞かせていたものだと思います。
またその時は出来れば2等寝台を利用したいと思いました。高校の修学旅行でも、大学の大会の移動でも2等桟敷席を利用しましたが、硬いフロアカーペットの上に直に寝るのは正直慣れなかったし、眠れませんでした。
でも2等寝台への差額料金の1000円ちょっと(だと思う)が出なくて、結局2等桟敷席へ。

今でこそ敷マットみたいなものが有りますが、当時は直寝だったと思います。
確か一人に付き毛布一枚、箱枕1個だったのですが、予備の毛布は1枚30円だか50円だかで借りることが出来ました。
1枚借りたかな?

確か桟敷席でこんなのを食べた覚えがあります。変に不安を感じてちょっと多めに食料を買ったから、持て余しました。
風呂に入った記憶もありません。一人旅だと貴重品の管理も不安がありました。
レストランの中でトラックドラさんたちがワッハッハ、ガッハッハとやっているのを聞くと、一人だとやたらと寂しく感じました。

翌朝門司に到着するときは正直ほっとしました。お金も結構使ってしまったし、どちらかと言うと後悔していたようなw
帰りの船内ではあまり眠れなくて、その日は急いでアパートに戻ったら寝直したような。
こうやって書いていると、あまり楽しくなさそうに感じですが、実際にすごく楽しかった!とは思いませんでした。
無駄遣いしたなーと後悔の念ばかりだったようなw
「もうフェリーを使う旅はいいや」みたいな感じだったような。
その後仕事でも出張でも新幹線やたまに飛行機など公共の交通機関を使う事が多くなりましたが、結局旅行はフェリーに自家用車を積んで行く事がメインになりました。
どうしてそうなったかはまたいずれかの機会に。

この学生時代の旅行で印象に残ったのが、郡家町の駅前旅館で食べた朝食に有った大根おろしです。
おろしたてだったようで、口に運ぶとピリリと辛くて目が覚めました。民宿だと作りたての料理が食べられるのだ!美味しい!!と思いました。
こんな思い出があるので、現在の旅行では出来る限りビジネスホテルなどは避けて個人経営の民宿ばかりを選ぶようなった次第です。

佐賀関を目指す道すがらの写真です。
国道197号線です。かつては国道197号線は、特にバイク乗りの方から「酷道197(行くな)」と言われるほど曲がりくねった、通行に気を遣う道だったようです。海を隔てた愛媛県側まで伸びています。
この道を初めては知ったのは大学生の頃です。この旅行記で登場した時で生涯3回目の通行だったと思います。
大学生の当時、私は福岡発―大分経由―豊予海峡横断―愛媛(泊)―高知(泊)―鳥取(泊)―兵庫城崎温泉(泊)―神戸より阪九フェリーで福岡へという旅をしたことがあります。
車で遠出をしたのは初めての事でした。その時の事を書いてみたいと思います。(当時の写真は一枚もありません。)
こんな旅行を思い立ったのは、純粋に四国に行ったことが無かったこと。自動車を使った旅行をしてみたかったこと、などなど暇があったからなおさらで思い立った旅行でした。

1日目は福岡を出発したらまず国道10号線を経由して杵築(国東半島の南側の付け根の部分)へ向かいました。
ここに寄ったのは当時付き合っていた彼女が親戚のうちに遊びに行くので、ついでに乗せて行ってほしいと言ったからです。
専門用語でいうと「アッシー」ですね。今となっては実にどうでもいい話です。

杵築市は城下町でもあり、ちょっと散歩したら武家屋敷のような所も残っていました。
現在は観光地として整備されたようですが、当時は少しくたびれた感じでそれほどでもありませんでした。

JR杵築駅から杵築市の中心部までは少し距離があり、かつては大分交通国東線(1966年廃止)が走っていた街です。
現在杵築市内の中心街にある杵築バスセンターはかつての大分交通杵築市駅跡で、年配の方だと現在で「市駅」と言うのだそうでした。どうでもいいですけど。
杵築までアッシーをして姓名不詳の誰かを下ろした後は単独でどんどん南下しました。
当時は高速道路も走っていなかったので、ずっと国道10号線を使いました。大分市内などは渋滞していたと思います。

四国に渡るのに使ったルートはこの国道九四フェリーでした。
当時別府―八幡浜、臼杵―八幡浜、佐伯―宿毛とその他3つのルートが有ったのですが、この佐賀関から三崎を結ぶルートが一番安かったのです。
それからその時は台風が北上していて、四国に渡れるか少々心配していました。何となく不安を感じて乗船時間が短いこの航路を選んだのもあると思います。(あやふやです)
ターミナルには車があふれていました。私は予約していたから大丈夫でしたが、乗船できない大型トラックのドラさんなどは少々焦った表情で、公衆電話で他のフェリーターミナルに電話して乗船できるか確認している人もいました。

私はフェリーに乗ったのは高校生の頃の阪九フェリーが初めてでした。(詳細はこちらをクリック)
その後も大学のクラブの遠征などで使った程度。(詳細はこちらをクリック)
国道九四フェリーの船があまりに小さく見えて不安を感じたものです。
料金も長距離夜行フェリーと比較すると割高に感じました。当時乗っていた車が4メートルちょっとの長さがありました。
5メートル未満の車の料金が適用されるから、財布に響きました。10センチ刻みの料金にしてくれたらもう少し安くなるのに・・と思ったものでした。

船内は桟敷席ばかりだったような気がします。
台風の雨も強くなり出した時だったから、船酔いするのではないかと心配しましたが、そうでもありませんでした。
ただ船は右に左にと緩やかにローリングしながら進むのは微妙に心配しました。

三崎港に着岸して・・

四国に降り立った時はちょっと嬉しかったのですが、既に真っ暗。
ヘッドライトを点けて下りるのですが、照らし出された乗船待ちのレーンには多数のバイクが乗用車やトラックの並ぶレーンの先頭で待っていました。みんな雨合羽を着ていたのがとても印象に残りました。

船の予約ができないと悲惨だな、と思いつつ真っ暗な中、国道197号線を走りました。

宿泊したのは八幡浜センチュリーホテルイトーでした。
今でこそ民宿ばかりを選んで宿泊していましたが、当時は何となく不安でホテルを選んでしまったのです。
宿泊ガイド本を見ると、宿泊料金は物凄く高い訳でも無いと思っていました。しかし何てことは無い、民宿は基本1泊2食付きの値段、ホテルは素泊まりの値段で表記されていたのです。もちろんホテルは綺麗だったけど、食事代も追加されると思うと当たり前に割高でもありました。
夕食は八幡浜の商店街の中の食堂で食べました。豚のしょうが焼き定食だったかな?その後社会人となって、私が愛媛で仕事をしていた頃に一度八幡浜に来たことがありました。その時は学生時代の旅行で私が食事をした店は営業していましたが、最近通りがかった頃(詳細はこちらをクリック)はもうやめているようでした。

翌日は国道56号線を使って足摺岬に向かうことにしました。
当時は高速道路は無かったので、延々と下道を使って宇和島市も経由しました。宇和島市内のアーケードのかかった商店街も賑やかそうに見えました。お金に余裕が無かったので、車を止めて歩いてみることはしませんでした。どうせ何か欲しいものが有ったとしても、買う余裕は無かったのです。
足摺岬に到着する頃には横殴りの雨で、写真とは違って、荒れ狂う太平洋は鉛色で、空も灰色でした。私以外は観光客はいませんでした。

確かこの手の看板が立っていたと思います。
「早まるな」とか「考え直せ」とか書いてあった記憶があって、やっぱり自殺の名所なんだなと思いました。一人でウロウロしているから、傍から見ると私が心配されているのではないかと感じました。

その日は横殴りの雨の中、高知市まで進んで、高知市内のビジネスホテルに泊まりました。
実は前日の八幡浜のしょうが焼き定食を食べた店で、常連と思われるお客さんとおしゃべりしました。
「なんでそんな高い所に泊まるの?」「民宿にすれば食事が付くのに。」などと言われました。今度は民宿に泊まってみようと思って調べてみたのですが、高知市内に民宿っぽい所を見つけることはできませんでした。
宿泊したホテルがどこだったか記憶もありませんが、フロントでは私以外に雨合羽を着たままのライダーさんが疲れた表情でチェックインの手続きをしていました。
今考えると県庁所在地の高知市では無くて、少し手前の伊野町やもう少し先の安芸市などで探せば民宿はあったと思います。
全く旅慣れていなかったのでした。
そしてその日の夕食は食費を浮かせるためにコンビニのお弁当を食べたような覚えがあります。
翌朝は何を食べたのでしょうね?多分節約するためにホテルの朝食は摂らずに、コンビニのオニギリか何かを買って、移動する車の中で済ませたと思います。
幸い台風は夜中のうちに通過していました。
しかし雨が残った状態で、高知と香川を結ぶメインストリートの国道32号線は降水量が規制値を超えたため、通行止めでした。
やむなく高知自動車道路へ入りました。

車に積んでいたロードマップも中途半端に古いものだったから、地図上ではまだ開通していませんでした。
何とかなるだろう!と思って進むと幸い(当時の時点で)高知自動車道路は開通した状態で、香川県まで抜けた時はホッとしました。そのまま瀬戸大橋で一気に岡山方面へ。

瀬戸大橋通過中の図。
これを見た時は、スケールの大きさに圧倒されました。
そして、あっという間に四国から中国地方に渡りました。九州から四国に渡る時、船が出るだろうか心配したり、乗船できなくて困っている人を見たので、画期的だと思いました。
しかし早島料金所で料金を精算するときは、橋の通行料の高さに驚愕しました。
少しでも料金を節約するためにハイウェイカードを購入していましたが、見る見るうちに金額が減っていくので、ほうほうのていで下道へ。
取り敢えず岡山県新見市方面へ向かいました。
当たり前だけど、下道を使うと時間がかかりました。だいたい平均時速30キロくらいでしか移動できないのだなと思いました。
この辺りの実地体験はその後このブログに出てくるいろいろな旅行記を計画するときに生きています。

やがて新見駅に到着。
根が田舎者の私はこんな駅の風景を見るとホッとしました。
時間も正午を過ぎた頃だったので、急にお腹がすきました。

駅のすぐ傍にイイ感じのお好み屋さんを見つけてそこで食べました。
中年の女性が一人で切り盛りしていたのですが、女子学生さんに人気のある店のようで、皆親しげに女性に話しかけていました。
「爪を切る時深爪してしまって痛い」とか言いながら、その指を時々ぺろぺろ舐めながら焼いていました。
今考えると何だかなみたいな感じですが、女子学生さんたちに人気があるのも分かるような気がする店でした。
その後社会人になって再び新見駅に訪れた事があるのですが、駅前は再開発されたようで、お店は無くなっていました。
次の宿泊地は鳥取市と決めていたので、そろそろ宿泊場所を取ろうと思ってガイドブックを見ながら電話をしました。
ところが、鳥取市内はどこをかけても空室なしでした。
やばい!と思いながら、思い切ってガイドブックの上位にあるお高めのホテルに電話しても満室。
「今日は野宿か~」と焦って来ました(今の私ならわくわくするところですが)。
でも、ふっとその手前の小さい町ならどこかあるのではないか?と思って地図を見ると、鳥取市の少し南側に郡家町という町があるに気付きました。そこで郡家駅駅前に有るらしい民宿に電話すると、
「えっ!宿泊ですか!良いですよ~!」とすごく嬉しそうな様子の返事をもらいました。
ところがその直後「あっ!でもAコープが閉まっているから、夕食は出来ません。朝食だけは用意しますけど。」とも言われました。

料金はと言うと、鳥取市内で宿泊するよりはるかに安価。嬉々として郡家駅方面へ。
民宿は本当に駅前にありました。確かエアコンは無かった気がしますが、8月だけど苦痛になるほどではありませんでした。
夕食は駅前に有った大衆中華料理屋に行ったような???
朝食はその民宿の、いかにも一般の家の応接室みたいな部屋で、これまたいかにも民宿の食事らしい和食を頂きました。
翌朝は最後の宿泊地城崎方面へ。
日本海側のひなびた風景を見ながらの移動は楽しかったです。

何だか急に魅かれて三尾と言う集落にも寄り道しました。
現在は平家の落ち武者伝説のある集落のようです。

そして余部鉄橋も見てみました。
鉄ヲタさんならご存知と思いますが、昭和61年に強風にあおられて回送列車が転落する大事故が発生したところです。
鉄橋のスケールもさることながら、大きな供養碑があるのも何とも言えない気持ちになりました。

この時の旅の最後の宿泊地は城崎温泉。
学生なりに奮発したつもりでした。一応2食用意してくれる旅館を探して宿泊しました。
旅館は写真のような有名な川沿いの通りから多少奥まったところに有る、くたびれた印象の旅館でした。
外湯巡りもしました。社会人になってお金に余裕が出来たら、もっと良い旅館に泊まりたい!とも思いました。
翌朝はいよいよ北九州方面へ帰る日です。
このまま車で帰るにはしんどいと思っていたので、神戸まで行って阪九フェリーで帰るつもりでした。

取り敢えず福知山市方面へ。
城崎温泉から下道を使って神戸に向かうと時間がかかりました。
平均時速30キロでしか移動できないとわかったので、道草は食わないようにしました。(写真のような福知山城をチラッとでも見た記憶もありません)
フェリーの中のレストランは学生には高めだとわかっていたので、国道沿いのホカ弁屋さんで2つくらい弁当を買いました。それとは別にポテトチップスなどの菓子類も買い込んだと思います。

三田市付近ではずらっと並んだ高層マンションに圧倒されたり、神戸市に近付いた時、どこの有料道路か分からない道を通る時は
道路の左右にまばゆいばかりの連れ込み宿が連立しているのに驚かされながら、なんとか六甲アイランドに到着。
ここでも学生時代の私にとって自動車の航送料金は懐に響きました。当時の宿泊ガイドブックはまだ手元に残っていますが、メモ紙が1枚挟まっていました。
それには「阪九フェリー12980円」と書かれていました。多分これだけのお金は用意しておかないと北九州まで帰れないぞ!と自分に言い聞かせていたものだと思います。
またその時は出来れば2等寝台を利用したいと思いました。高校の修学旅行でも、大学の大会の移動でも2等桟敷席を利用しましたが、硬いフロアカーペットの上に直に寝るのは正直慣れなかったし、眠れませんでした。
でも2等寝台への差額料金の1000円ちょっと(だと思う)が出なくて、結局2等桟敷席へ。

今でこそ敷マットみたいなものが有りますが、当時は直寝だったと思います。
確か一人に付き毛布一枚、箱枕1個だったのですが、予備の毛布は1枚30円だか50円だかで借りることが出来ました。
1枚借りたかな?

確か桟敷席でこんなのを食べた覚えがあります。変に不安を感じてちょっと多めに食料を買ったから、持て余しました。
風呂に入った記憶もありません。一人旅だと貴重品の管理も不安がありました。
レストランの中でトラックドラさんたちがワッハッハ、ガッハッハとやっているのを聞くと、一人だとやたらと寂しく感じました。

翌朝門司に到着するときは正直ほっとしました。お金も結構使ってしまったし、どちらかと言うと後悔していたようなw
帰りの船内ではあまり眠れなくて、その日は急いでアパートに戻ったら寝直したような。
こうやって書いていると、あまり楽しくなさそうに感じですが、実際にすごく楽しかった!とは思いませんでした。
無駄遣いしたなーと後悔の念ばかりだったようなw
「もうフェリーを使う旅はいいや」みたいな感じだったような。
その後仕事でも出張でも新幹線やたまに飛行機など公共の交通機関を使う事が多くなりましたが、結局旅行はフェリーに自家用車を積んで行く事がメインになりました。
どうしてそうなったかはまたいずれかの機会に。

この学生時代の旅行で印象に残ったのが、郡家町の駅前旅館で食べた朝食に有った大根おろしです。
おろしたてだったようで、口に運ぶとピリリと辛くて目が覚めました。民宿だと作りたての料理が食べられるのだ!美味しい!!と思いました。
こんな思い出があるので、現在の旅行では出来る限りビジネスホテルなどは避けて個人経営の民宿ばかりを選ぶようなった次第です。
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コメント
No title
そういえば昔の2等はマットの上に毛布1枚と小さい角型の枕でごろ寝でしたね。
初めて当時の名門フェリーに乗った時を思い出しました。
初めて当時の名門フェリーに乗った時を思い出しました。
No title
おはようございます。
そちらは殺人的な暑さと伺っています。
大丈夫ですか?
今回の記事、最近の僕の出張コースと似ています。
佐賀関から四国に渡るのは便利ですね。
国道フェリーは日本で一番儲かっている
フェリー会社だと思います。
佐賀関にジョイフルが無くなって寂しいです。
1枚目の写真、吉田会館が写っていますね。
ここでの宿泊はいいですよ。
夕飯だけつけて、朝は早い時間のフェリーに乗れますし、
料金も7000円ぐらいで関アジ鯖が出た記憶があります。
今月末愛媛高知に行きます。久しぶりなので今から楽しみです
そちらは殺人的な暑さと伺っています。
大丈夫ですか?
今回の記事、最近の僕の出張コースと似ています。
佐賀関から四国に渡るのは便利ですね。
国道フェリーは日本で一番儲かっている
フェリー会社だと思います。
佐賀関にジョイフルが無くなって寂しいです。
1枚目の写真、吉田会館が写っていますね。
ここでの宿泊はいいですよ。
夕飯だけつけて、朝は早い時間のフェリーに乗れますし、
料金も7000円ぐらいで関アジ鯖が出た記憶があります。
今月末愛媛高知に行きます。久しぶりなので今から楽しみです
Re: No title
ぢぢさん、こんにちは。
私が初めて乗船した時は敷マットは無かった記憶があります。
この備忘録では借りた毛布をひいて寝たんですが、あまり効果が無かった気がしました。
箱枕は共用だったから、桟敷席の一角に薄い紙がひもを通しておいてありました。
箱枕に引いて寝るのですが、寝返りを打ったらどこかに行っていた気がします。
私が初めて乗船した時は敷マットは無かった記憶があります。
この備忘録では借りた毛布をひいて寝たんですが、あまり効果が無かった気がしました。
箱枕は共用だったから、桟敷席の一角に薄い紙がひもを通しておいてありました。
箱枕に引いて寝るのですが、寝返りを打ったらどこかに行っていた気がします。
Re: No title
コウジさん、こんにちは。
佐賀関のジョイフル無くなったんですか。ロケーションは良かったのに。
吉田会館、良さそうですね。
こうじさんのブログを見ると食事も高品質なのが分かります。
学生の時のひもじい旅行のことをまとめてみましたが、なんだかな?という印象になりました。
今は物凄く贅沢していますね。
ひょっとしたらレストランでぜいたくな食事をしている私を見てうらやんでいる学生さんもいるかも。
佐賀関のジョイフル無くなったんですか。ロケーションは良かったのに。
吉田会館、良さそうですね。
こうじさんのブログを見ると食事も高品質なのが分かります。
学生の時のひもじい旅行のことをまとめてみましたが、なんだかな?という印象になりました。
今は物凄く贅沢していますね。
ひょっとしたらレストランでぜいたくな食事をしている私を見てうらやんでいる学生さんもいるかも。
No title
佐賀関のジョイフルはやっぱり利用者が少なかったのでしょうね。
あそこの賃料は安いはずですが、それをペイできないのは
人口が少なすぎるということでしょうか。
大阪では知る限り6店舗ぐらいあります。
りんくうのジョイフルはよく行きます。
7種の和定食、あれはいいですね。最近はこればかりです。
以前は豚汁定食でしたが。
ローカルファミレスはわかりませんが、上場しているファミレスでは
ジョイフルが1番じゃないかとお思います。
あの値段で提供していいると思うと、安いけど少しでも美味いものをと
いう良心を感じます。
コロナで大規模な店舗削減を行うようですが、大洲とか八幡浜とか
残って欲しいですね。
あそこの賃料は安いはずですが、それをペイできないのは
人口が少なすぎるということでしょうか。
大阪では知る限り6店舗ぐらいあります。
りんくうのジョイフルはよく行きます。
7種の和定食、あれはいいですね。最近はこればかりです。
以前は豚汁定食でしたが。
ローカルファミレスはわかりませんが、上場しているファミレスでは
ジョイフルが1番じゃないかとお思います。
あの値段で提供していいると思うと、安いけど少しでも美味いものをと
いう良心を感じます。
コロナで大規模な店舗削減を行うようですが、大洲とか八幡浜とか
残って欲しいですね。
Re: No title
コウジさん、こんにちは。
佐賀関のジョイフル止めちゃったんですね。ジョイフルは大分に拠点を置くファミレスだったと思います。
この旅行と同じ時期、学生時代に住んでいた所の近所にジョイフルが出来て、その時初めて利用しました。ロイヤルホストとかより安いけど、そこそこ美味しいよみたいなイメージでしたが、今では私もファミレスに入るならジョイフルです。
四国上陸の旅行の時に朝食で利用することも考えるのですが、東予地区では何故か接客態度がどうとかで恐ろしく低評価なジョイフルがあるのもローカルファミレスな印象です。
佐賀関のジョイフル止めちゃったんですね。ジョイフルは大分に拠点を置くファミレスだったと思います。
この旅行と同じ時期、学生時代に住んでいた所の近所にジョイフルが出来て、その時初めて利用しました。ロイヤルホストとかより安いけど、そこそこ美味しいよみたいなイメージでしたが、今では私もファミレスに入るならジョイフルです。
四国上陸の旅行の時に朝食で利用することも考えるのですが、東予地区では何故か接客態度がどうとかで恐ろしく低評価なジョイフルがあるのもローカルファミレスな印象です。