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平成24年4月 阪九フェリー乗船記 中編

この記事はこちらからの続きです。

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この写真はたまたま深夜12時頃に眼醒めたときに撮ったもの。

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月もおどろおどろしいのですが・・・

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遠くに今治市を望むこの時間帯はちょうど来島大橋をくぐる時間帯だと思って外に出てみました。

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・・・と言っても深夜だからせいぜいうまく撮れてこんな具合。

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しかし、やみくもにいろいろ撮ってみたらこれは良い感じに撮れました。

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再び寝静まって午前5時過ぎに起床。

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やっぱり海上から臨む景色は良いねぇ。

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とりあえず風呂に入ったのですが、うまい具合に誰もいなくて写真が撮れました。
結構広くて気持ちが良いのですよ。

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風呂から上がって、いよいよ新門司港入港のときの景色がこれ。
テーマパークなんか行かなくても充分に観光していると思うのです。

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オーシャン東九フェリーが見えました。

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その横を進みながら着岸しました。

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皆さんが下船して静かになってから朝食をとることにしました。
先の乗船記でも書いたように、「つくし」だけは朝食のセットメニューが多いのです。

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スープセットと目玉焼きにしてみました。
スープは注文を受けてから作るようです。
温めていないのかな・・?と思っていたら・・・

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スープはこんな感じ。見本と違って落とし卵が入っていました。
これなら目玉焼きはいらなかった(笑)。

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食後再び展望デッキに出てみたらちょうど自動車運搬船のとよふじ丸が入港していました。

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そうこうしているうちにだいぶ明るくなってきた。

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名門大洋フェリーの第1便が沖出ししています。

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午前7時20分に「まもなくゆっくりステイ終了の時間です。」と船内放送がありました。

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それでは荷物をまとめて下りましょうかねぇ。今回は草履を持って来ていました。
展望デッキに出るのにいちいち革靴に履き替える必要が無かったから便利でした。備え付けのスリッパは屋外では結構滑って危ないのです。

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僅か2台の乗用車のために待機している係員の皆さんありがとう。

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それでは出撃することにします!!

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現地に直接高速道路で向かうと30分あまりで着いてしまいます。山道を走って行きました。
北九州市は人口約100万人を擁する政令指定都市ながら意外にこんなワインディングもあるのです。

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途中法面が崩壊していて交互通行になっているところがありました。
道路に描かれた「徐行」という文字、バランスが悪くて投げやりなところに私を含めたこの地域の人たちの大雑把なキャラクターが表れていると思います。

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そんなこんなで地元の神社到着。
懐かしい皆さんとお会いしました。意外に半数以上が良く風雪に耐え原形を保っているようでした。

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神事を終えたあとのお食事会のときの写真です。
これは適当に載せておきます。

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・・・となかなか豪華な料理がでてきましたが、実は皆と喋ったりしてばかりだったから、結局半分くらいしか食べることが出来ずに終了。
この後夕方6時半から2次会があったようですが、私は静岡に帰らなくてはならなかったからこの場で解散としました。

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その後は直方市内の石炭記念館へ。

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モルタル張りのこの建物は実は明治時代後期に立てられた意外に歴史のある建物なのです。

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外装こそ装飾が削り落とされてしまいましたが、建物内部はそれなりに雰囲気があり、天井もこのように田舎の洋館らしい雰囲気を残しています。

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ここには少々山本作兵衛氏の絵(のレプリカ)が展示してあります。
本当は田川市歴史博物館まで行って、氏の作品も見たかったのですが、ちょっと時間が無かったのでわずかに展示しているこれらだけ見ることにしました。
ご存知の方も多いと思いますが、氏は筑豊炭田華やかなりし頃に採炭事業に従事した一労働者なのですが、晩年は炭鉱の歴史を後世に伝えるべくたくさんの絵を遺しました。
2011年春、驚くことに氏の遺した絵は国宝鳥獣戯画を抑えて堂々!ユネスコ世界記憶遺産に登録されました。
これは日本国内のものとしては初めての登録物です。(詳細はこちらをクリック
田川市教育委員会と田川市内にある福岡県立大学がユネスコに推薦書を出して見事射止めたわけですが、きっと当初は地元の人たちも全く期待していなかったし、どちらかと言えばやめたほうが良いんじゃない?という雰囲気だったのではないでしょうか?
私も小学生の頃これらの絵を見ても人物が皆同じような顔をしているし、上手な絵だとは思いませんでした。
特にその後の寂れた街を知っているし、むしろどの絵もどこかしらもの悲しげな印象を感じました。
それがユネスコの世界記憶遺産に登録されたからさあ大変、途端に扱いが変わってテレビでも解説者の皆さんが絶賛しまくっています・・・
郷土が誇る偉人としてヒトに語る前にまずは私のしょぼいブログの場を借りてお詫び申し上げたい気分です。
・・・・下手な絵だなんて思ってすんませんでした・・。

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その他、鉄ヲタや産業遺産ヲタクが喜びそうな展示物をちょっとだけ眺めてみました。

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時間が無いから駆け足です。
その後ばたばたの飯塚市方面へ。

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幸袋というところに到着です。
また変な写真を出しているなと思うヒトがいるかもしれませんが、ここは昭和44年に廃止された国鉄幸袋線の幸袋駅があったところです。
廃止された後(平成に年号が変わった後も)長く駅舎が残っていました。
近年老朽化のため取り壊されてしまいましたが、東屋(あずまや)のような駅舎でした。
どうでも良いですけど、大学生の頃まで気が向いたときにこの駅舎を見に来ていました。
理由は他にもあって、駅前の家にナンバーが付いて実働状態のトライアンフTR7というイギリスのスポーツカーがありました。それも見に来ていたわけです。
きっと誰も知らないと思いますが、オースチン、ロータス、MG辺りと同じ、いわゆるライトウエイトスポーツカーを発売していたメーカーでした。
どのメーカーもアメリカで良く売れていたのですが、初代ニッサンフェアレディZが発売されてからどこも左前になりました。トライアンフについてはフェアレディZに対抗すべくモダンなTR7を発売したのですが、Zより鈍重なボディ、非力なエンジン、いまいちなデザイン、そして何よりも中途半端に故障が多かったそれは4輪メーカーとしてのトライアンフ社のとどめを刺すにふさわしい迷車となりました。
・・・個人的には帆立貝のような形をしたリトラクタブルライトが印象的でしたが、ネット上でもろくな資料が残っていないようですな。

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ちゃんとホームも残っています。
鉄道少年だった子供の頃、当初は他の同好の友人と同じように特急列車や寝台列車を追いかけていましたが、途中で赤字ローカル線に興味を持ち始め、しまいには廃線跡を見て回るようになりました。
当時は皆から変人扱いされましたが、近年では廃線めぐりを扱った図書も出るなど、鉄ヲタ趣味の一分野に成長したから時代が変わったものです。
旧幸袋駅に初めて訪れたのは中学生の頃。2月に亡くなった祖母がわざわざ車を運転して連れてきてくれた思い出深い場所でした。

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この旧幸袋駅周辺はまだ駅前だった風情を多少は残しています。
これは幸袋駅跡から歩いて直ぐのところにある旧日鉄鉱業の幸袋クラブ。元々は伊藤伝衛門氏のお屋敷です。
私が故郷を離れている間に飯塚市に売却され、一般公開されるようになりました。
今回の帰省で是非に見学したいと思ったのですが、何と残念ながら時間切れ。
伊藤伝衛門氏と柳原白蓮氏のアレコレの薀蓄も語りたかったのですが、それはまた次の機会に。

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やむなく再び直方市方面にトンボ帰りしてお土産を買うことにしました。

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直方市銘菓成金饅頭です。
この地域では一労働者が炭鉱で一山当てて大金持ちになることを「成金」と言っていました。
決して嫌な表現ではなくてむしろ成功者を表す言葉です。
県外を出てから他の職場を訪問するときには必ずと言っていいほどお土産に持っていっていましたが、私の両親は「もっと今風なものがあるだろう・・」と良い顔をしませんでした。
しかし、持って行った相手には「あの白餡のドラ焼き、美味しかった。」と好評なんですけどね。

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ついでながらその道すがらの写真を見せておきます。道路全体が傾いているのが分かりますか?

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この写真は道路全体が波打ったようになっているのが判りますか?
実はこれは炭鉱会社による採炭後の地盤沈下なのです。
この写真の右側、ガソリンスタンドと道路の境目に注目。

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だいたい50センチくらい道路側が沈んでいるのです。

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看板の足元に注目。鉄柱の周りはちょっとだけ基礎を打つから沈みませんが、その周りはアスファルトの重さだけで沈んでいます。

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このお店の周りも沈んでいます。店側が盛り上がったわけではないのです。

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盛業中にも拘らず、建物の基礎の構造もしっかり見えてしまっています。
筑豊地域はどこを掘り返しても必ずと言っていいほど石炭の鉱脈にぶつかります。
太平洋戦争中に半ば強引に住宅エリアまで掘っていき、埋め戻しもろくにしなかったため最後の炭鉱が昭和52年に閉山した現在でもなお地盤沈下が収まっていません。
近年は北九州市もこのエリアも新興住宅街が形成されつつあるのですが、せめて土地を買う前に地域のご老人にでも良いから炭鉱があったかどうかを確認しておかないと後で悩まされることになる思います。

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以上、フェリーの乗船記なのにこの地域の不動産事情に触れてみましたりしながらいよいよ帰りの阪九フェリー第1ターミナルに到着です。

                              続きはこちらをクリック





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No title

ユネスコ世界遺産ではないのですが、赤貧の版画家が大賞を受けるとごうつく大家が「これは私の物よ」と版画家が勝手に版木にしていた板を剥がしたと聞いた記憶が有ります。
氏の版画が教科書の挿絵に使われてました。本人の「私の絵には二つの嘘が有ります」とのインタビューに感銘しました、語りにもなんとも言えない味が出ていたのはきっと沢山の人に話をされたのだと思います。

交互通行。最近は無人にして信号にしている所が多いですね、待ち時間目安タイマー付きのも見ました。そして信号を無視する輩も、ドライブレコーダーの動画でも見ましたし。私にいたっては、取り始めの時に反対側が見えている交互通行の信号突破が丸分かりだっので、そのまま進んでやりました(笑)。普通なら行く手を遮るのですから激怒する筈なのですが、後ろ目たかっのでしょう(爆)。
カーブの流し撮り、上手く撮れてますが路肩に落ちないでくださいね。

No title

北九で家を建てる時に参考にさせていただきます。w

Re: No title

秋田利用さん、こんにちは。
道中の写真は片っ端に撮ってみて、何故かやたらとうまく撮れた写真があったのでブログに載せました。

山本作兵衛氏の絵は炭鉱の近代の記録を1労働者としての視線で捉えたものであること、また晩年は営繕室勤務であったことより機械類の描写が非常に正確であることなどが評価されたそうです。

Re: No title

こうじさん、こんにちは。
北九州市の新興住宅街でも、ご老人に言わせると「あの辺は昔炭鉱があったから地盤は緩いと思うよ。」と教えてくれる事があります。
もちろん筑豊地区ほどではないと思いますが、私の実家の近辺は突然道路に陥没が出来たりするので要注意です。

地盤沈下驚き

これは、すごい光景ですね。びっくりしました。炭鉱のあった所ですか。

おそらく、ほとんどの場合坑道等の地下に空洞が形成されると、必ずといってよいほど地下水が
移動しますので、水が抜けたことによる地盤沈下が一般的に先ずは考えられる事だと思いますが
これはすごい沈下量。かつて長野県内の地下水脈移動によって町の調査と対策の計画素案を
造ったことがありました。

それは、豊富だと思われていた地下水を道路の融雪に使い続けたためひろい地域全体が落ちま
した。その時は対策として地下水くみ上げを中止して、アスファルトを透水性のあるものに変えて
特殊なロードヒーティングで対応した事がありましたが、この場合は難しい対策を迫られることに
なるケースと思われます。住民ではなくて企業と市なり国の責任でしょうか。

アスファルトの重みはほとんど計算しないほどの質量しか無いです。現象としては建物や構造物
の方が比重として軽いので浮き残った状態だと思います。

それにしても、貴重な現象を良く撮影しました。その着眼点が素晴らしいと感じています。。。

Re: 地盤沈下驚き

サッピエロさん、こんにちは。

筑豊地区は今でもどこを掘っても石炭の鉱脈にぶつかるのだそうです。
特に第2次大戦中は住宅地だろうが、どこだろうが、片っ端に掘って行ったようです。
北海道や福岡県大牟田と違って中小炭鉱が多かったことが災いして、閉山の時は大量の失業者を出したし、坑道もそのまま放置したところが多数ありました。
ひどいところはある日突然幹部職員が従業員も置き去りにして失踪、放置なんてところもありました。
現在の職場に以前新幹線の福岡トンネルの工事に携わった方がおられます。ボーリング調査をしたらあちこちに元坑道と思われる空洞が多数あったようです。
古い写真で、家が池(陥没池と言っていました)に飲み込まれそうになっているのを見たことがあります。
国も「石炭六法」なる対策を打ち出したのですが、結局それにすがって結局新たな産業を創出することが出来なかったちょっと残念な地方自治体が多数あります。

日本人は元来記録好きな民族らしくて、古来より偉い学者さんから市井の民までいろんな人がいろんな記録を残したようです。
伝聞だけではいつか消滅する可能性もあるし、何でも良いから記録しておこうと思った次第です。
面白い!と思っていただけたなら、幸いです。
プロフィール

U-BOAT

Author:U-BOAT
福岡県出身。縁あって静岡県浜松市に住み着いて10年になります。
いろいろなことに挑戦してみたいという気持ちは常にありますが、実力が伴っていません。
凝り性ではありますが、ネットの世界では私よりも知識の深い人はいくらでも居ます。
趣味も旅行を始め、多岐に渡ります。ジャンルにとらわれない少しばかり濃い目のブログを作っていきたいと思います。
ご指導、ご鞭撻よろしくお願いします。 2010年8月

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