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平成24年2月 名門大洋フェリーと阪九フェリー乗船記 Vol.2

この記事はこちらからの続きです。

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翌朝はいつものように午前5時過ぎに起きました。
前回名門大洋フェリー第2便の1等室のベッドを利用したときは少々マットが硬い気がして夜中何回か置きましたが、今回はそんな印象も無かったです。

ちょっと船内の探索にでてみようと思ってみたら・・・



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既に起きている人も何人か居ます。
・・・ちなみに上部プロムナードデッキのところは2等指定席のお客さんだと思うのですが、ソファーでだらしなく寝ている人が数人・・・そういう訳で写真は撮っていません。

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レストランを見てみると、なるほどカフェテリアレーンの手前のところで仕切って営業時間外でも一部のレストランの椅子が自由に使えるようにしているのだな。
第1便の一世代前のフェリーがやたらと公室が少ないので、こういう感じにしたのかもしれません。(私の考えすぎかもしれません。)

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少々船内をうろうろ・・
これは二等寝台でたまたまドアが開いていたから中を撮ってみました。
上部寝台でも梯子を無くした構造だし、ミニマムな空間でプライベートエリアを作っているのに成功しているとは思いますが・・・不特定多数の人が出入りするエリアでプライベートエリアを創出ということは逆に言うと人目につきにくいところがたくさん出来るという事。
実は私は6,7年前名門大洋フェリーの第2便を利用したとき、ここで盗難に遭いそうになりました。寝台に戻ってみたら見も知らないおっさんが私の荷物をあさっていました・・・。
貴重品はちゃんと身につけていたから実被害は無かったのですが、やはり気分は良くないもので、それ以降夜行便のフェリーに乗る場合は出来る限り個室を取るようにした次第なのです。

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それでは一等室のある上の階に戻ります。
船尾の方に自動販売機のあるエリアがありますが・・・

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その奥にはしれっと特等室、ロイヤルルームにつながる階への階段もあります。

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ほほう、ここが特等室エリアか・・・ちゃんと造花が設えてあるぞ。
私は名門大洋フェリーの第2便の特等室、ロイヤルルームを利用したことは一度もありません。
理由は簡単。第1便の特等室の方が圧倒的に広いからです。多分1,5倍くらいの広さがあると思います。今後2便で特等室を使うことがあるかな??

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そうこうしているうちに夜が明けてきました。

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海から見る朝焼けは奇麗だ。そんなことを言う私はおっさんだ。
その後午前6時半くらいになったから朝風呂に入りました。

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朝バタバタするのが嫌だからなるべく余裕を持って行動するようにしているのですが、風呂から上がって軽く身支度をしたらこの時間。

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だいぶん空も明るくなったし・・・(関係ないけど)

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750円持って朝食に行こう。

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以前は850円だったのですが、多分平成23年中のどこかで100円値下げになったのだと思います。

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帰りもフェリー泊になるから食べすぎには気を付けよう。

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・・・という事で私の朝食プレートはこんな感じ。
値下げ以前はちゃんと船内で調理したであろうスクランブルエッグがあったのですが、今回は業務用玉子焼きになっていました。気付いた範囲では大きなトマトの短冊切りした奴も無くなって、プチトマトに変わっていたな。

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でも、卵かけご飯が食べることが出来たのは嬉しかった。

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せっかくだからトーストのお替りもしました。
カフェテリアレーンを見ていると結構な数のお客さんが利用しているようでした。
女子会?と思しき若い女性3人組がかわるがわるお替りをしにレーンに並んだりしていたが、体が細そうに見える割には良く食べるな。若者の特権だ。

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朝食を食べ終わる頃にはすっかり明るくなっていました。時間は午前7時半を回っているから当然といえば当然です。

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そうこうしているうちに新門司フェリーターミナルに入港して来ました。
阪九フェリーや東九オーシャンフェリーも見えます。ガラス越しに撮っているのですが、ちょうどこのとき職場から電話がかかっていてその対応に追われて外に出て撮る余裕が無かったのです。

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インフォメーションに鍵を返しに行くと既に大勢が下船を待っています。
乗船したときは気付かなかったけど、結構たくさん乗っていたんだな。

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次に乗るのはまた1年後かな。一人なら1等室でも充分に快適だった。
今回徒歩乗船して気付いたけど、体にハンディキャップがあって車椅子を利用している人が乗用車なしで利用するとなると名門大洋フェリーはちと厳しいかもしれない・・・


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下船したら直ぐに小倉駅までの連絡バスに乗ります。
これを逃したら後はタクシーしかありません。
しかし、ちゃんと積み残しを出さないようにバスを用意しておくのも大変でしょうね。

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小倉駅到着の図。
大体30分くらいかかるのですが、そのわずかな時間でも居眠りを始める若い女性客が数人。
きっと二等雑魚寝を使って良く眠れなかったのだろう。勝手に自分の学生時代を思い出して懐かしかった。

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小倉駅で切符を買ったら直ぐに普通列車に乗り込みます。

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これは鹿児島本線折尾駅到着の図。ホームの屋根は立派な木造です。

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鉄ヲタの人なら誰でも知っていると思うけど、折尾駅は日本で初めての鉄道立体交差の駅。
下が筑豊本線。上が鹿児島本線です。
鉄道の厳格なしきたりと言いますか、先輩格の線路が開通するときは当たり前のように地べたを走り、後輩(後から開通した)の線路がもしそれを交差して行くためにはお金を掛けて築堤を造り乗り越えていかなくてはなりません。
明治時代、この地に鉄道が開通したのは筑豊本線が先でした。
現在は写真のようにレンガが一部ペンキで塗りつぶされていますが、小さかった頃、この駅で鹿児島本線に乗り換えるときは壁から天井まで1面立派なレンガ組みで子供なりに圧倒されました。

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鹿児島本線と立体交差しているところですが、中学生の頃悪童だった私は改札口を通らずにこの写真のトンネルの向こうにある踏切から直接停車中の旧型客車に乗り込んだりしました。(筑豊本線側のホームが少々短かったので、最後尾の車両がホームにかからずにトンネルの下辺りで停まったりしていたのです。)

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かつての重要な路線の乗換駅だったから洗面所も立派です。
ここで夜行普通列車でやってきたお客さんが顔を洗ったりしたのでしょう。

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トンネル部分もアップで写真を撮りました。天井が黒くすすけているのは蒸気機関車の通った名残。
このときは時間が無かったから写真も撮っていませんが、実は折尾駅の駅舎もかなり立派な駅舎です。
現在折尾駅周辺は再開発計画が持ち上がっています。筑豊本線が地べたを走っていて街の発展の障害になっているという考えと、列車通過待ちによる渋滞の発生を解決するという目的で橋上化するという案があるのですが、そうするとこの立派な駅舎も消滅するかもしれません。

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こいつに乗って・・

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とりあえずの目的地は直方駅。

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ここの駅舎も実はかなり立派な駅舎だったのですが、私が浜松にいる間に壊されてしまいました。
一説によると初代博多駅の建材を用いて作った可能性が有ると言う事で調査されたようですが、どうやらその可能性は薄いという事で保存にはならなかったようです。(いつか古い直方駅の写真もこのブログでアップしようと思います。)

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ここでの用事は直ぐに済ませてそのまま小竹駅へ。
実はこの小竹駅、全国的には全く知られていないでしょうし、地元の人も知られたくなかったのでしょうが、駅のホームが地盤沈下で見る見る沈んでいる駅でした。
ホームの横っ腹(という言い方で良いのか)に線路を渡るなという注意喚起の標語がペンキで書かれていましたが、下半分が土中に埋まってしまっていました。
私が知っている限りでは2回くらいホームのかさ上げ(計50センチくらい)をしていますが、ホーム自体の重みで沈んでいってホームに降りようとしたお客さんが転んで骨折する事案が発生する有様でした。
結局基礎を新しく打って作り直したほうが早いという判断があったのか、駅舎ごと新しくなっていました。
ちなみに炭鉱が華やかだった時期はこの駅にも引込み線が多数あったようです。左手の駐車場の敷地はすべて引込み線の敷地でした。子供の頃、草むした留置線がいくつもあったのは覚えています。

・・・ここに母方の実家があり、仏前で手を合わせました。
生きているうちに無理してお見舞いに行けて良かったかな。
祖母と遊んでいる小さい頃の私の写真を3枚ほど頂きました。残しておいても誰が誰だか判らなくなるから持って行って大事にして欲しいと・・
・・・ありがたく頂いてきたけど、そのうち2枚は自分の写真であるかどうかさっぱり判らない写真だったけど、ほんとにオレかな??・・まぁ良いか!

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そしてすぐにもと来た道を引き返します。これは折尾駅乗換えの写真です。
かつては1時間に1本くらいしか列車が無かったのに、現在は比較的多く列車が走っているようで首尾良く移動が出来ました。

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目的地はここ。若松です。

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今ではせいぜい2両編成のディーゼルカーが1時間に2本程度しか走っていないローカル線ですが、石炭産業華やかなりし頃は立派な洋風建築の大きな駅舎に無数の引込み線を持つ日本一の貨物取扱量を誇る駅でした。
現在は旅客ホーム2面しかありませんが、結構長いのです。

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ホームの先のほうはこのように木造の屋根が残されています。

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かつての街の栄華を残すものとしてこんなものも挙げられると思います。
商店街の電柱にこんな琺瑯看板が残っています。
現在は福岡市に西鉄グランドホテルという老舗の立派なホテルがありますが、かつては若松でもホテル営業をしていました。

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今では普通に田舎の町になってしまった旧若松市(北九州市若松区)ですが、郊外型大型店舗の進出が相次いでいるにも拘らず駅前商店街はそれなりに華やかです。

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ここは恵比寿市場。むせ返るような昭和の香りがして私はたまらなく好きです。

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ここの個人商店の八百屋で自宅へのお土産を買っておきました。

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これです。若松水切りトマト(詳細はこちらをクリック)です。
糖度が13度あって、普通のスイカと変わらないくらいなのです。

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久しぶりにこの街を散歩したあとは若松南海岸(洞海湾の北側)を歩いていきます。
この若松南海岸、大正昭和の近代建築がまだ残っていてとても奇麗なところなんです

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これは石炭会館。

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旧古河鉱業ビル。私が福岡から転勤する頃、保存か取り壊しかもめていましたが、北九州市が買い取って保存決定された建物です。

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これは上野海運ビル。中の装飾も相当に美しい建物ですが、いつか別項にて写真を出したいと思います。

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栃木ビル。パッと見では小さくて地味な建物ですが、大正8年頃の建築。
当時の洋風建築は高さがそうでもなくて、横に大きい建物がメインだったのですが(例;東京駅)、これは高さが横幅を上回っています。新しいことにトライした、当時としては斬新な建物だったようです。

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その後ろに見える構造物がこれ、若戸大橋。日本初の海峡(正確には湾ですが)をまたぐ橋です。
橋を赤く塗ったのは、たまたま当時の防錆剤が赤い色しかなかったためだとか。たまたまそんな時代に海峡をまたぐ本格的な大型橋梁であるこの若戸大橋を真っ赤に塗り上げてみたところ、見る人に強烈なインパクトを与える結果になったのか、その後の大型橋梁も赤く塗るようになったとか(そういう推測もあると言う意味です)。

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今日はこれに乗ります。若戸渡船です。このとき以来です。
今では若松に住んでいる人が徒歩で対岸の戸畑区、小倉方面などへ行くときはバスを使うことが多いようですが、物好きな私はバスを使ったことは未だにありません。渡船一筋です。


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渡船の利用料金は大人100円。
ちょうど船がやってきました。

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船が更新されるたびにだんだん小さくなっているようです。
利用客が年々減っています。

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ここが旅客スペース。

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後ろのは展望スペース・・・ではなくて自転車置き場です。
若松区から対岸の学校などに通学する学生さんは多いのですが、若戸大橋が現在自転車の通行は出来ません。
彼らにとっては渡船が唯一の移動手段な訳です。

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乗り込んで程なくして・・・

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出航です。
大体1時間に3本か4本、割と頻繁に運航しています。

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ガロロロロロ・・・ッとなかなか勇ましい。

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対岸の戸畑区の海岸にも日本水産のなかなか美しい建物があります。

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片道3分程度、あっという間に対岸に来てしまいます。

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戸畑側着岸です。

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桟橋の向こうには若松に向かうお客が数人。

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後姿を取っていますが、このようにほんの何人かだけでも自転車込みの利用者がいるのです。

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それでは戸畑駅に向かいます。
これは渡船乗り場を振り返って写した写真。このエリアも昔の遊郭の建物が残っていて、建築物を研究する人がたまに調査に来るときがあるようです。

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戸畑駅から小倉方面へ。

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小倉駅到着。北口へ向かいます。

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阪九フェリーの送迎バス乗り場です。
思ったよりも早くに所用が済んでしまったから、予定を変更して第1便で帰ることにしました。



                            続きはこちらをクリック。

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コメント

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No title

おはようございます。若松の銀天商店街で叔父叔母が小さな化粧品店を営んでいます。

二年前鉄道利用で若松に行った時、駅に健さんのポスターが貼られていて泣きそうになったことがあります。

健さんは確か直方の方でしたっけ?

Re: No title

こうじさん、こんにちは。
若松の銀天商店街は意外に良い商品を並べている店が多いと思います。
化粧品店もいくつかあるので調べたら分かってしまうかもですよ。

高倉健さんは北九州市八幡西区香月町の出身です。北九州といっても殆ど筑豊よりです。高倉健さんが高校生の頃は石炭産業が華やかな頃でして、刃傷沙汰も多かったとか。国鉄香月駅前に交番があって、そこにいらっしゃる警察官は顔に大きな傷があって「困ったことがあったら相談しな・・」と言われた事があるという高倉健さんの回想録を読んだ覚えがあります。

No title

ドロボーが乗ってるフェリーは勘弁して欲しいですね。
僕は阪九の2等Bに乗るのですが、自動的に貸切になってます。
たまたま空いているからだと思いますが。

Re: No title

こうじさん、こんにちは。
夜行フェリーのロッカー使用料は意外に安価ですよね。
なるべく窃盗事故などを減らしたいからそうしているのだと思います。

船の上で起こったそういう案件は海上保安庁の管轄になるのでしたっけ?
万一海上保安庁が乗り込んできて乗客全員が足止めを食らったりすると大変ですもんね。

こうじさんが今出しているブログの記事が何気に雰囲気が良いですね。
プロフィール

U-BOAT

Author:U-BOAT
福岡県出身。縁あって静岡県浜松市に住み着いて10年になります。
いろいろなことに挑戦してみたいという気持ちは常にありますが、実力が伴っていません。
凝り性ではありますが、ネットの世界では私よりも知識の深い人はいくらでも居ます。
趣味も旅行を始め、多岐に渡ります。ジャンルにとらわれない少しばかり濃い目のブログを作っていきたいと思います。
ご指導、ご鞭撻よろしくお願いします。 2010年8月

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