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平成23年9月 福島県 Jヴィレッジ出張 後編

この記事はこちらからの続きです

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お前、福島第一原発の免震重要棟に行くんじゃねぇの??と思われる方もいたかもしれませんが、これには少々の説明が必要です。
まずJヴィレッジという施設ですが、これは福島県の太平洋側、いわき市より北へ約20キロ程度進んだ楢葉町にある施設です。スポーツ振興を目的とした施設として造られたようですが、名前から想像がつくようにJリーグとも深い関わりがあるようです。(サッカーについてはあんまり詳しくないのでその程度の説明です。すみません)
福島第一原発はJヴィレッジからちょうど20キロ地点ジャストのところに位置しています。
そのため現在福島第一原発で仕事をする人のために東京電力が長期間貸切にして東電本社職員、関連企業職員ともどもここで寝食を共にしているようです。
福島第一原発では平成23年9月の時点で多いときには3000人近く、最低でも2000人がそれぞれの業務に当たっていたようです。震災当初に比べると後方支援体制もかなり充実してきています。わざわざ福島第一原発に拠点を置くのではなくて、ちょうど20キロ離れていて尚且つもともとハード面で充実した設備を持つJヴィレッジに本部機能を持たせたようです。今回私が与えられた仕事はJヴィレッジ内の業務でした。

午前6時50分頃このバスに乗り込みます。
乗り込んでみると、フッとこちらの顔を見る人もいますが、すぐにみなバスの外の景色に目線を移します。
ぐぬぬ・・結構重い雰囲気だな・・と思いましたが、中には20代と思しき女性もいました。逃げ出したら一生の恥だな・・・

午前7時をやや過ぎたところでその他の乗客が来ないのを確認して運転手さんは黙ってドアを閉めて出発です。
目的地のJヴィレッジまで下道で約50分。車内は半分くらいの席が埋まっていますが、喋っている人はいませんでした。
この地域のメインストリートであろう国道6号線を北へ北へと進んでいきます。途中電光掲示板で「楢葉町より北、通行止め」とありました。
やがて右手に太平洋が見えるようになります。
だんだん人気が無くなっていくのが分かります。海の近くに中途半端に壊れかかった家があって缶スプレーで大きく「解体可」と書かれていました。
大型外来入浴施設などもありましたが休業状態のようで気の毒でした。
これらの写真は残していません。他人の不幸を面白がってブログにアップするものではないと思ったからです。
やがて国道6号線の封鎖地点までたどり着いたら東側に進路を変えてJヴィレッジに午前8時頃到着しました。

今回私に与えられた仕事はきわめて事務的な仕事ばかりでたった1日だけです。
それから、この仕事を請け負うに当たって守秘義務を求められました。写真は許可を得て撮った3枚だけ、たった1日の仕事の中で知りえた事とこの写真を当たり障りの無い範囲で後からこのブログにアップしておきます。

私がJヴィレッジ内で仕事をするに当たって、与えられた場所は福島第一原発からぎりぎり20キロ圏内に入るところ!でした。正確には19キロ995メートルくらいのところに滞在したようです。
対応してくれた東京電力社員の方に伺いましたが、平成23年9月の時点でJヴィレッジ内の被曝線量は東京都内と変わらないレベルになっているようでした。実際線量計の値を見せてくれました。

私自身がこの仕事を請け負ってみようと思ったのは一つだけ邪(ヨコシマと読む)な考えもありまして・・
現在マスコミは東京電力に対して相当のバッシング報道をしているような気がしています。
実際の現場はどうなんだろう?もめているのだろうか?と確認したい気持ちもありました。
東京電力は汚い仕事はすべて下請け業者に押し付けてしまっているとか何とか・・・実際はどうなんだ??



Jヴィレッジのホームページにも出てくるガラス張りの中央玄関がメインの出入り口として使われているようで、外にはタイベック(テレビでも出てくる白い放射線防護服)を来ている人たちも歩いていました。メインホールに本部機能が置かれているようで、東電社員と思しき方たちが各々の業務をテキパキとこなしているようでした。
そしてホール中央部分には全国から寄せられた激励の手紙やメールなどが張り出されていました。もちろん罵詈雑言を並べた内容のものも東京電力本社に届くのだろうけど、その中から純粋に励ましているものを選んでいるのだと思います。
贈られてきた千羽鶴も、また海外の子供(アメリカの年少の子供のようです)からの励ましの手紙も飾ってありました。
タイベックはいちいち使い捨て、もともと摂氏30度ぐらいの湿度の高い環境下で長時間作業することを想定していなかったもののようです。熱中症と脱水症予防のために非常に通気性の良い下着も支給しているようでした。

今から福島第一原発に向かうという作業員にはペットボトルのお茶や電解質補液飲料(ポカリスェットの進化版みたいなもの)などを無償で配っていました。
医務室も完備されていました。当初は東電病院のお医者さんが一人あたり3泊4日、84時間くらいぶっ続けで勤務していたようですが、こちらも大きく改善しているようでした。
震災当初、福島第一原発で作業員が3名作業中に亡くなっているわけですが、これ以上犠牲者を決して出してはならないという強い意志のようなものを感じました。
作業従事者の方は誰でも無料で受診できるようで、実際多くの方がここを利用しているようでした。
そしてここから大事なことを書いておきますが、マスコミでは大変な仕事を下請けに押し付けている云々みたいなことをまことしやかに書いていますが、少なくとも私がいた1日の間で被曝線量が規制値を超えてしまったため、福島第一原発での仕事から離れざるを得なくなった作業者は東電社員の方ばかりで、下請け会社の社員の方は居りませんでした。(私がいた1日間のことではありますが・・・)

私が仕事をしているさなか関わった作業員の方たちは少なからず疲れているようでした。
「まだまだ仕事の目処がつかない。」という彼らにせいぜい「無理をしないように体を大事にしてください。」くらいしか言えないのですが、こんなおっさんでも労をねぎらってもらうのは嬉しいのだかみんなホッとした顔をしていたような気がします。
はたしてやばい仕事を下請け会社に押し付けているか?というとJヴィレッジ内に集まる人たちの連帯感を見るに当たって決してそんな事は無いのではないかと感じました。そもそもそんなことをしていたらJヴィレッジ内で暴動が起きると思うんですよね。土木関係の作業員の方は屈強な人も多いですから・・・

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午前8時からいろいろな業務をやっているとすぐに正午になりました。
ハーフタイムと言う名前のレストランで食事を取ることにしました。これがそのときに写真に撮っておいたブッフェ500円の内容です。
ご飯に味噌汁、そして取り放題のオカズです。

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この日は温野菜(にんじんとブロッコリー)にごぼうと鶏肉を煮たもの、揚げだし豆腐に冷凍サンマのぶつ切りです。作業員の方々と混ざっていただきました。
私がJヴィレッジにやってくるもう少し前までは食事は作業者全員に無償で提供されていたようです。現在は一般的な会社の職員食堂レベルの料金で提供されるように改められました。これさえも非人道的な扱いだと非難する報道がありましたが、それはさすがに言いがかりのように感じます。他の人たちが食べているどのメニューもボリュームたっぷりでした。

あれやこれやをやっているうちにあっという間に夕方6時前になりました。朝から一緒にいてくれた偉い方?は今日はいわき市内で一杯やるんですか?と聞かれましたが、遊びに来ているわけでもないし私の仕事が終わったからと言って直ぐに飲んだくれるのもどうかと言う気持ちもあったので夕食もJヴィレッジ内で摂って帰ろうと思いました。
再びレストランハーフタイムに行くとこの日は午後7時まで貸切になっていました。中では既に宴会が始まっているようで賑やかな声が聞こえました。昼間の激務を考えたら夜はしっかり気分転換をしないとやってられないよな。

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やむなく東電がチャーターしたバスに乗って午後6時10分頃Jヴィレッジを離脱。
車内は満員状態で私は狭い補助席でピクリとも動かずいわき駅まで向かいました。
写真はいわき駅到着時のものです。久しぶりに補助席に乗ったけど疲れた疲れた。

実は午後6時過ぎにJヴィレッジを出発するバスに乗るといわき駅を午後7時過ぎに出る特急ひたちに乗ることが出来るから、夜11時半頃浜松に帰り着ける可能性がありました。
しかしながら何か仕事が終わるや否やこの地を去ってしまうというのが失礼かなーと思ったり、上野駅から東京駅まで15分くらいで移動できないと最終の東海道新幹線に間に合わないとかありまして用心してこの日も宿泊した次第。

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いわき駅の駅ビルでおみやげ物を買ったりして・・・
(後日お土産を改めてみると自分が疲れていたせいか、甘い和菓子ばっかり買っていました。)

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明日の朝出発する列車の切符の指定席を取ったりしていると・・・

突然ガチャガチャガチャ・・・とものすごい音がして地面が揺れました。震度5強の地震があったのです。
駅の窓ガラスが割れて振ってくるんじゃないかと言うくらいの揺れで、みどりの窓口の若い駅員さんは私に切符を渡そうとした格好のまま固まっていました。・・・真剣に怖かったです。

この時点で常磐線は止まってしまいました。万一無理して今日中に帰ろうとしたら絶対に東海道新幹線の最終には間に合いませんでした。


そしてそのままホテルに戻ります。実はテレビなどでは報道されていませんが、いわき市周辺の宿泊施設は福島第一原発事故収束のためにやってきた土木作業者の皆さんで非常に賑わっており、どこも満員状態でした。
慌てて宿泊しようとしても当日飛込みでどこかのホテルに入れるはずも無く、下手したら野宿を強いられたと思います。こればかりは安全策をとってよかった!
ホテルに帰ってみたらエレベーターが止まっています。
非常階段を上って部屋に荷物を置いたら、嫁さんに無事に仕事が終わったことを伝えるメールをしました。
とりあえず部屋の狭いユニットバスにお湯を張ってお風呂を済ませます。
こういうときは大浴場完備のルー○インのほうが良いかなぁ。
・・・という事で、一風呂浴びてさっぱりしたから晩御飯を食べよう。

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昨日晩御飯を食べたホテル併設の居酒屋に入ります。
非常階段側、すなわち外部の人が入る側にはこんな看板がありますが、よくよく見てみるとよがんでいます。3月の地震の影響のようです。

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この日の日替わり定食はトンカツ定食でした。普通に美味しかったし、昨日よりもかなり良いと思う。

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その他のビュッフェメニューです。ブライドポテト少々。あと何かの煮物。あまり残っていなかったですが、味は良かったです。

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それからカレー。昨日のビーフシチューも今日のカレーも結構肉がごろごろ入っていました。

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野菜モノが無い代わりにデザート代わりの梨がありました。美味しく頂きました。
しかし今日はほとほと疲れた・・・晩御飯を食べている最中にもまた余震があったけど、なんかもう良いやみたいな感じでした。
お腹一杯になって再び非常階段を上って部屋にたどり着くと程なくして眠りこけました。
夢心地の中でエレベーターが復旧したと言う館内放送を聞きました。

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そして翌朝。普段よりももう少し早く午前5時起床です。いつものようにジョギングすることにしました。
さすがに浜松より東側にあるだけあって日の出も早いようでした。

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いわき市内を走っていると所々に雰囲気の良い建物が残っているな・・・と思ってよく見ると・・・

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3月の震災のダメージがあるようです。このくらいの損害だと修理は厳しいかなぁ。

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これら写真はいわき駅の1階部分。3月の震災直後の様子の想像がつきません。

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でもきっと復興支援に来ている人たちもこういうお手製のメッセージボードを見ると励まされるのだと思う・・・
頑張ってください!!

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午前6時過ぎにジョギングから帰ってきたらさっとシャワーを浴び、朝食を食べました。
私は今日帰るのですが、まだまだ仕事が続くであろう人たちもたくさんいて、黙々と食事を食べています。

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今日は時間に余裕があるからたくさん食べよう。昨日とはオカズのメニューが結構多く変えてありました。
長期宿泊者が多いんでしょうね。
ここの朝食は前日予約で850円、当日券で900円。おかずの種類も多くて美味しかったです。

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午前8時前チェックアウト。

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・・・

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再び特急ひたちに乗って上野に向かいます。ウィークディなのにがらがらです。

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途中太平洋を望めるところを走っていたので写真を撮りました。
列車の揺れに身を任せていると急激に眠くなり・・・再び起きてみると周りはたくさん乗客がいました。

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定刻に上野駅到着。首尾よく京浜東北線に乗り換え。・・と言ってもこの列車の車掌さんに「東京に行きますか?」と尋ねるところが田舎モノ丸出しです。

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帰りもぷらっとこだまのチケットを買っていたから間に合わないと非常に困るのでした。

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いわき市を午前8時頃出発して浜松には午後1時頃到着。使い慣れた駅を見るとホッとしました。

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自転車を回収して職場に戻ります。
職場には午後1時半頃に戻ることが出来ました。

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午前中仕事をしなかったからこの日は午後10時過ぎまで仕事をしました。この写真は私がJヴィレッジにいたときに陣中見舞いに来たどこかの行政法人?かなにかの偉い人の差し入れです。私が直々に頂いたのではなく、そのおすそ分けを頂いたのです。
これを休憩時間に食べていると何故かJヴィレッジにバスで乗り込んだとき、車両誘導していた女性警備員を思い出しました。私とさほど年齢が変わらなさそうで、真っ黒に日焼けしていました。まだまだ頑張ってるんだろうなぁ。

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最後にこの写真を出しておきます。Jヴィレッジ内で許可を取って撮った3枚目の写真です。
Jヴィレッジには震災当初自衛隊の方たちが詰めていたそうです。彼らが引き上げたときの忘れ物だとか。
捨てるものでもなければ、取りに来いと催促するものでもないのでそのまま事務室に貼っているのだそうです。
私が小学生の頃を思い返してみると自衛隊に対する評価も随分変わったような気がします。

しかして私なりの東北大震災の復興支援の内容を報告した次第ですが、もしも再び要請があれば行っても良いと思っています。
大体自分の人生がどんなもので終わるかが見えてきたような気がして、大金持ちになる可能性はまず無い代わりに余程足を踏み外さない限りは犯罪者にもならない平凡なものになると思うのですが、そうなると何か人様に貢献できたと思えるものがあった方が後悔しないと思ったからです。
平成23年9月の時点で福島第一原発の事故処理はかなりのところまで進捗しているようです。どうか無事に冷温停止に持っていくことが出来たなら、全くの外野ながらJヴィレッジで仕事をした私も非常に嬉い。
微かでも貢献できたことが自分にささやかな誇りになると思います。
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U-BOAT

Author:U-BOAT
福岡県出身。縁あって静岡県浜松市に住み着いて10年になります。
いろいろなことに挑戦してみたいという気持ちは常にありますが、実力が伴っていません。
凝り性ではありますが、ネットの世界では私よりも知識の深い人はいくらでも居ます。
趣味も旅行を始め、多岐に渡ります。ジャンルにとらわれない少しばかり濃い目のブログを作っていきたいと思います。
ご指導、ご鞭撻よろしくお願いします。 2010年8月

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