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キハ66系とキハ40系の思い出

今回は子供の頃の地元の鉄道路線の事をまとめてみました。

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幼少の頃の私にとって、最も身近に感じた鉄道線は国鉄筑豊本線でした。





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今では考えられない事ですが、中学生の頃までは長崎県佐世保市と大阪を結ぶ寝台特急「あかつき」が走っていました。(写真は2009年に走ったリバイバルあかつき 当時の牽引機はDD51単連でした。)

もっと小さい頃にはその他昼行のディーゼル急行列車も設定されていました。
子どもなりに鹿児島本線には劣るけど、優等列車も走る、そこいらのローカル線よりはワンランク上の路線だと自分のことのように誇っていました。

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当時の筑豊本線にはまだディーゼル機関車が引く旧型客車の鈍行列車もいくつか設定されていました。
小学校の高学年の頃、週に1度日曜日だけ北九州市内に行くために筑豊本線の列車を利用していました。
たまたま初めて利用した列車が写真のような旧型客車の飯塚発若松行きでした。

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当時より一人で遠い所に行くことができるのが楽しみでした。
旧型客車に乗る時は内装がニス塗りで照明も蛍光燈でない、ポヨンとした明るさの白熱灯が使われている車両を選んで乗りました。(座席の木の部分も壁も天井も木目にニス塗りの車両がありました)
冬場だと日が暮れるのも早くて、夕暮れの列車の中はほのかな温かみのある柔らかな明るさで、何と説明して良いかも分かりませんが、とにかく好きでした。

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ところで、地元の基幹駅だった直方駅には直方気動車区と言う大きな気動車区がありました。私はJRの関係者でも何でもないので、はっきりとしたことは言えないのですが、恐らく当時筑豊線の旅客列車の中でも、鹿児島本線に入って小倉駅方面に向かう列車と筑豊本線の起点になる若松駅方面に向かう列車は車両を使い分けていたのではないかと思います。

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若松駅方面には写真のようなキハ20系や・・

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キハ35系などのローカル線用に朱色1色で簡素に塗り上げられた車両の混成編成があてがわれていました。
大抵4両編成くらいで子供ながらに雑多な印象だったと思います。
そういう列車に乗ると、当時の私でも車両の出力が小さそうだと感じました。
冷房装備のない車両ばかりで、夏場は客室の窓を大きく開け放っていました。
駅を出発してもゆるゆるとしか加速できないのはいかにもローカル線の列車に乗っているという気にさせられました。
しかし停車中の「コロコロコロコロ・・・」というアイドリング音は嫌いではありませんでした。

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小倉駅方面は主に写真のようなキハ58系があてがわれていたと思います。

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内装はこんな感じ。
日曜日の朝方などはお客さんも多くないのに6両編成で運行していて、しかも全車両冷房車でした。
特に夏場は非常に快適でした。旧型客車も好きだったけど、その後こちらの車両をよく利用するようになりました。
恐らくかつては急行列車に充当されていた編成に乗っているという優越感に浸れたのです。
急行色は子供ながらにとてもカッコよく、若松方面を結ぶ朱色1色のローカル列車にはなるべく乗らないようにしていました。

ところで、中学生になるころより少し変わった車両を見るようになりました。

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キハ66系でした。
ウィキペディアを見てみると製造年は1974年から1975年(昭和49年から昭和50年)まで。
山陽新幹線が博多まで開通するのに合わせて北九州・筑豊地区連絡運輸用に開発された車両だそうです。
中学生の頃鉄道ファンだった友人から「全国で筑豊線だけ、30両しか無い車両だ。」と説明されてすごく誇らしくなった記憶があります。

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キハ28系と違って、転換クロスシート装備。件の友人は「筑豊線ごときに贅沢だ。」と言っていました。当時の鹿児島本線を走る普通列車にはこれほどのグレードの高いシートを装備した車両は無かったのです。

ウィキペディアの記事では昭和50年までに製造されたと言うことですが、意外に古い時期に造られたんだなと思いました。
私が実際に動いているのを見たのは昭和57年前後頃からではないかと???
勿論子供だった私が常に線路わきに張り付いて筑豊本線を走る列車を確認できるわけでは無いのですが、これまたウィキペディアを見てみると、台車は空気ばね搭載、エンジンもこれまでの気動車と違って特急用車両にも使用されたハイパワーなものを搭載していましたが、初期はトラブルも多くて現場は苦労したと書かれています。
もしかしたら安定して定期運用できるようになるまでに多少のタイムラグがあったのかもしれません。

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ところでこのキハ66系、筑豊線で活躍していた時はキハ66系6両編成で運行することもありました。
キハ58系までと違って倍以上の出力のエンジンを持つ6両編成です。普通鈍行列車のはずなのに、駅を出発した後、全開で走り出すときもあって、明らかに加速を楽しみながら運転しているんじゃないかと思われる運転士さんもいました。(これ本当)
フル加速の時は車内も結構な爆音状態になりましたが、それは高性能のあかしだと子供ながらに思いました。(実際は遮音に苦労していたようですが)

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そんなこんなで私が高校に上がる時は期せずして福岡市内の寮に入らなくてはならなくて、筑豊本線を利用することはめっきり少なくなりました。(詳細はこちらをクリック
JR各社に分社化の後、キハ66系がJR九州色に変更されたときは一抹の寂しさも感じました。
現在筑豊本線は桂川―折尾間が電化され、キハ66系も長崎県大村線に活躍の場を移しているようです。
そろそろ引退の声も聞こえるのだとか・・・


そしてそれとは別に、やはり中学生の頃真新しい車両を目にしました。

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キハ40系です。
中学生の頃、初めて現車を見た時は「朱色1色なのに、やたらと真新しい車両があるな?」と思いました。
これまたウィキペディアで調べてみると、1977年から1982年製造なので、多分私が乗ったのは作られてほんの数年しか経過していない車両だったと思います。
当時はキハ40系もキハ66系も同じ時期に造られたのだろうと勝手に思い込んでいましたが、こちらの方が後年製造のようです。
キハ66系が大量生産されることが無かったのは、いろいろと盛り込み過ぎて車重が大きくなったこと、ハイパワーエンジン、空気ばね搭載の台車、冷房装備などでコストがかかりすぎることが原因だったからとか。
特に車重が重いのはあまりよろしくなかったようで、筑豊本線のような準幹線ならまだしも、規格の低めのローカル線だとそもそも入線出来なかったようです。

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キハ40系はキハ66系と比較して内装も簡素になり、冷房装備もありませんでした。
しかし堅実で手堅い設計は信頼性が高く、キハ20系や35系などの置き換えに全国に配備されたようです。
その後私も大学生になり、社会人になると少しずつ趣味の変化が出てきました。鉄道からは徐々に離れていきました。それでも飯田線には乗ってみたりしましたが・・(詳細はこちらをクリック
平成16年から静岡県に住むようになりましたが、東海地方のJR路線を見渡してみても、非電化路線は殆どありません。
もうキハ40系に乗ることもないのだろうと勝手に思っていましたが・・・


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今回こんなのに乗って来ました。





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コメント

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No title

U-BOATさんこんにちは。
多趣味ですね~、国鉄色の気動車、懐かしいです。
キハ66系は下関~小倉間でも運用されていて、実家から通学していた時は良く利用しました。
他は全て電車だったので、エンジン大好きな自分はキハに当たると嬉しかったのを覚えています。
(ほかのお客さんは、あまり嬉しそうじゃなかった気が…)
今思えば、関門トンネルで周波数切り替えが出来る車両が足りず気動車を投入したのかな?と思います。
また北九・下関に帰りたい気持ちが強くなってしまいました…。

No title

あ、訂正します。
周波数ではなく直・交です。

No title

松山運転所の跡が松山駅から見えますね。
伊予方面に移転して新しくなりましたが、
その時の電設工事の業者さんの宿泊施設が
ツタヤさんでした。

新しい松山運転所を見ると、これがおばちゃんの最後の大仕事と
思えてなりません

Re: No title

ぢぢさん、こんにちは。

小学校の頃筑豊本線には1本だけ下関行きがあったような記憶もあります。
それにはキハ66系を使っていたかもしれませんね。

私の最寄りの駅は快速列車が止まらない駅でした。
乗り換えなしで県外に行く列車は自分にとっては優等列車のように感じました。
小学生なりの考え方ですね。

Re: No title

こうじさん、こんにちは。

松山駅周辺は頑張って再開発してJR松山駅利用者の数を増やせたらいいですね。
今思うと伊予市は高速道路のICとも近いし、メインの国道もすぐ目の前だし、仕事で宿泊する人にとっては意外に便利な位置にあったような気がします。
松山市はICも結構遠方だし、市内はそれなりに渋滞していましたね。

No title

こんばんは。
三十数年前に1年半ほど、父の転勤で福岡市に住んでいて、
筑豊のローカル線に乗りに行ったことがありましたが、
非冷房の古い気動車の中で、キハ66はカッコ良かったですね。
数年前、ハウステンボスに行った際、大村線で乗りましたが、
40年選手は、さすがにくたびれていました(笑)。

と思ったら、メインテーマはキハ40の方でしたか。
続きを楽しみにしています。

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No title

九州の鉄道網、時に北九周辺は石炭を運ぶためにこれでもかというぐらい
線路が敷かれていますね。
もう40年以上前ですが若松駅も賑やかだった記憶があります。
ひっきりなしに貨物が走っていました。
景気のいい時はトンネルを掘って若松と戸畑をつなげる案があったそうですね

Re: No title

okuruma1970さん、こんにちは。

当時私はキハ66、67のコンビは筑豊本線のクイーンだと思っていましたよ。
私が中学生の頃までには筑豊本線内の気動車急行は廃止されていましたが、名前は残っていました。
快速「日田」、快速「はんだ」など。
一度だけ快速「日田」に乗ったことがありましたが、キハ66系の2両編成でした。
なんと車内販売がありましたよ。車内が込み合っていたため、一角でじっとしていて、売り歩いてはいませんでした。
買っている人も見ませんでした。
リクライニングシートではなくて、クロスシートですね。校正しました。

Re: No title

コウジさん、こんにちは。

中学生の頃までは香月線、糸田線、上山田線、漆生線、添田線などなどもっとたくさんありました。
小学校の頃社会科見学で若松経由で若戸大橋を渡りました。
若松駅の構内がやたらと広かったのは印象的でした。その頃にはほんの少し留置している車両があったくらいでしたが。

若松と戸畑を結ぶ海底連絡鉄道、まだ計画はあきらめていないようですよ。
海底道路が先にできましたが、小倉周辺の渋滞を解決するためにも必要と主張する人もいるようです。
そうなると若戸渡船は廃止になる可能性が出てくるでしょうね。
プロフィール

U-BOAT

Author:U-BOAT
福岡県出身。縁あって静岡県浜松市に住み着いて10年になります。
いろいろなことに挑戦してみたいという気持ちは常にありますが、実力が伴っていません。
凝り性ではありますが、ネットの世界では私よりも知識の深い人はいくらでも居ます。
趣味も旅行を始め、多岐に渡ります。ジャンルにとらわれない少しばかり濃い目のブログを作っていきたいと思います。
ご指導、ご鞭撻よろしくお願いします。 2010年8月

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