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仁?を探す旅 プロローグ 後編

この記事はこちらからの続きです。




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姓名占いが的確だというお坊さんが住職を務める寺は、大分県中津市に有ると言うことでした。(写真は中津唐揚げ)
どうして私が中津まで行く羽目になったかと言うと、以下の通りです。





そのお坊さんがA君についている悪い友達とは、U-BOATという人物ではない、もっと違う人が居ると言った時に、A君のお婆ちゃんは「それではこのU-BOATと言う人物はどういう人なのですか?」と尋ねたそうです。
すると坊さんは私の名前を見ながら、「多分この人はむしろ他人に良い影響を与える人・・A君とは住む世界が違う・・」と言いながら、何故か途中でニヤニヤ笑いだして、そのまま口をつぐんでしまったと言うことでした。

私はきっとA君のお婆ちゃんは霊感商法に引っかかってしまうタイプだなと感じていました。「そんな事より私のお金を早く返してください。それは純粋に胡散臭い話ですよ」と心の中で思いながら聞いていましたが、私はその「私の名前を見てニヤニヤ笑いだした」と言うのは気になりました。
他人に良い影響を与えるとニヤニヤ笑うものなのだろうかと思って「そのお坊さんは私の事をどう思ったんでしょうね。」と言ったら、ならばいっしょに行きましょうと言う展開になったのでした。

A君のお婆ちゃんはまた悩み事相談に行きたかったのでしょう。お寺は公共の交通機関だけでは行けない場所にありました。タクシーも使うと結構な金額になる場所でしたから。

当日は私が車を出して、A君のお婆ちゃんの潜伏先の家まで迎えに行きました。
A君のお母さんは道まで出て「行ってらっしゃい、気を付けて」と見送ってくれました。

道すがら、A君のお婆ちゃんはいろいろな話をしてくれました。

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自宅に有った書画骨董はどうやら偽物も有ったが、本物もあって、骨董商から捨て値で売っても数十万もすると言われた品物もあったらしいとか・・
もともとA家は鉄鋼関係の仕事をしていたようでした。鉄鋼関係と言っても鉄工所では無くて、製鉄をしていたようでした。
直系男子が居なかったため、佐賀県の医家の家柄のしっかりしたところから養子として男子を迎え入れたつもりだったのですが、その人があまりよろしくなかったようで、そこから一気に傾いて行って、事業を整理してしまったとか。

広大だった庭園も切り売りせざるを得ず、屋敷の敷地部分を残して殆どを売却してしまったと。

無題
どのくらい広大だったかと言うとこのくらい広大でした。美しく整備した庭園を遊園地として一般市民に開放したのです。(当時の写真です)

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入り口はこんな感じだったようです。
開放した庭園の池ではボート遊びが出来て、ロープウェイや観覧車も設置。小さいながら動物園もあったようです。


今新築した家も、もともと屋敷の居間から見える小高い丘につつじが咲いていたら綺麗だろうと思ってつつじの花壇にしていたエリアなのだと。

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A君が入れ込んでいる女性は夜の仕事をしている女性で、誰の目から見てもA君をいい金づる扱いにしているのは明らかなのに、本人は付き合っていると周りに吹聴して回っていると。
(写真は参考写真です。もっと派手で、綺麗な感じの女性でした)

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しかしA家も全く落ちぶれたわけではありませんでした。土地は切り売りしたけど、それでもある程度の不動産は残っていたので、まとまった面積がある土地を利用して賃貸マンションを建てていると。勿論銀行への返済を考えるとほぼすべて入居してくれたら生活の足しになるだけの月々の収入はあるくらいの計画です。それなのに、A君は家賃収入全てを自分が自由に使って良い小遣いになると思っているようだと。

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マンション建設の計画段階で、図面を勝手に持ち出して、夜のお店に行って、お姉ちゃんたちの前で図面を広げて「今度うちで建てるマンションだよ。」と自分の手柄のように言っているようでした。
そんな聞けば聞くほどこちらが暗く沈んだ気持ちになる話を聞いているうちに目指すお寺に到着しました。
今となってはどんな建物だったかもほとんど覚えていないお寺。
A君のお婆ちゃんは住職さん夫婦とはすっかり顔見知りのようで、親しげに話しているのですが、私は緊張しました。(申し訳ないけど、胡散臭いとしか思っていませんでした)

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私とA君のお婆ちゃんとは別室に通されたのですが、いろいろ悪い話をされて最終的に安っぽい壺を100万くらいで買えと言われるのではないかとハラハラしました。

暫く待っていると、住職のお坊さんが後から入ってきました。坊さんはまず最初に私の名前を聞いてきました。そして私の名前をあらかじめ折り目を入れた紙に書いて、折り目で出来た四角いスペースに何やら漢字を当てはめていきました。
生年月日も必要だったような記憶があるような無いような・・・

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私はこれが姓名占いかと思ってみていました。(写真とは全く異なる方法のようでした)
黙って鉛筆で漢字を書いているのですが、途中で「あっ間違えた。」とか言って消しゴムで消して書き直しているから私は心の中で「なにやってんだ。」くらいの気持ちで見ていました。
そしてすべての作業が終わったようで、その紙と私を見て、「「陰」と「陽」が一つの箱に入った。こんな事はめったにない。あなたはどんな人に対しても分け隔たりのない、表裏のない誠実な人だ。」とか言い出しました。

私は「はぁ!?」と思いました。詳しい話は忘れてしまいましたが、私には私を助けてくれるいろいろな見えない力がたくさんついていて、いろいろな人が見守ってくれているとか、A君とは天と地ほどの差があるとか、そのような事を言われたような記憶があります。それはさておいて私は「A君のお婆ちゃんから、お坊さんが私の名前をじっと見てニヤニヤ笑いだしたのだけど、何も教えてくれなかったと聞いたが、それはどういう事なのでしょうか?」と問うてみました。

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するとお坊さんはちょっと含みのある顔をしましたが、はぐらかすようにして私に「あなたは困っている人を見ると放っておけない人だ。自分の損得に関係なく助けを求める人に手を貸す人だ。あなたには「仁」という文字が見える。あなたの名前の後ろに後光が差している。」とまで言い出しました。
この辺まで来ると、このおっさん少しおかしくないかなー?と失礼な事も思っていました。

勿論良いように言われれば悪い気はしなかったのですが、これはもう相当A君のお婆ちゃんがこのお坊さんに貢いで来たんじゃないかとも思いました。
しかしあまり嬉しくないことも言われました。

当時私には交際している女性が居ましたが、その人と私は全く釣り合わないから別れたほうが良いと言われました。
姓名を聞いて、紙に書いてじっと見つめると、「もし結婚しても私の足を引っ張る存在にしかならない」と強い口調で言われました。その女性と別れてお見合いをすれば2,3年の後に最適な人と巡り合うだろうとも言われました。
「え~良い女性だと思うのだけど・・」とちょっと残念な気持ちでした。

そんなこんながあって、帰る時はA君のお婆ちゃんはお布施に?それとも私の占いの代金?に5万円ほど渡していました。
私はそんな事に使う金があるなら俺に返してくれよと思いました。

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帰りしな、少し遅い昼食を摂りました。
中津市内の汽車ポッポ食堂と言う店でした。ここは中学校の林間学校の時に付近をバスで通りがかって非常に気になったお店でした。
大分交通耶馬渓線(昭和50年廃止)の車両を個人で保存している方が経営している店です。
あの頃A君と私は同じバスからこの店を見ていたはずだったのにな。どうしてこんなに変わってしまったんだろう。

A君のお婆ちゃんはこの店の食事代は出してくれましたが、残念ながら私がA君に貸した借金は清算してくれませんでした。やむを得ずA君のところに直接赴いてコツコツ返させました。「1万2万で良いから返せ」と言われると、渋々でも返してくれるようでした。

1万で良いからと言うと1万円だけ、2万で良いからと言うと2万円だけ、つい先ほどまで握りしめていたような生温かく、くちゃくちゃになった金を受け取りに行くのはまるで借金取りになったようで情けない気分でした。良い社会勉強になりました。

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昨年同窓会に出たばかりにそんなお話を思い出してしまいました。
K君に「Aのお母さんはどうしているの?」と尋ねると「残念ながら亡くなった。」と答えました。
年齢的に考えると、お婆ちゃんももう居ないだろうな。
A君のお母さんは生活保護を受給していたようでした。A君自身も生活保護受給者になっていたようです。私と同い年なのに。
きっとA君のお母さんは絶望しながら亡くなったのだろうかと思うと、帰りのフェリーの中でしんみりしました。
せめて話だけでも聞いてあげられたらすべてを失うまでは至らなかったのではないだろうかと、申し訳ない気分になりました。

旅行記は楽し気に食事をしている様子などを書いていますが(詳細はこちらをクリック)、部屋に戻って照明を落として布団をかぶって寝ようとすると、しんみりしました。

しんみりしたかったけど、翌朝神戸で下船して浜松まで帰ろうとすると乗っていた原チャリが、奈良県内で故障して立ち往生してしまったので、それどころでなくなりました。(詳細はこちらをクリック

ところであの坊さんの「ニヤニヤ」は何だったんでしょうね?よくよく考えてみたらはぐらかされたままになっていました。
同窓会に行ったから、そんな事も思い出しました。
お寺の名前も知らないけど、お寺のある山の名前だけは覚えています。あの坊さんに会ってみようと言う気が起こってきました。





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コメント

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No title

おはようございます。
この話は続くのですか?まさか後日お坊さんに会いに行ったのですか??

借りたお金を僅かずつでも、渋々でも返してもらえたのはまぁ。。。面倒だったことをお察しします。
ただ・・・、借金を肩代わりしなかったお婆さん、お母さんは賢明とも思います。
どこでどれほどの借財をしているか分からない放蕩息子の借金を肩代わりしていてはキリが無いでしょうし、
そうなると没落はもっと早かったでしょう。もっと賢明なら息子が家庭の財産に手をつけられないようにしたと思いますし、さらに賢明なら息子もこういうふううにはならなかっただろうとも思いますが。

Re: No title

グレープフルーツさん、こんにちは。

この話は続きますよ。
集金に行ったとき、この金の出どころはどこだろうと思っていました。
結局方々から借り倒して、まわりまわってお婆さんたちが精算していたのではないでしょうか。
この記事を書いていて思ったのですが、もしもお婆ちゃんが精算してくれていたら、相談相手にはなっていたと思います。
最後はきっとマンションと新築した家をだまされるような形で取られたのかもしれません。お婆ちゃんが居なくなって、お母さんが相談する相手も無く、誰かにこかされたかもしれないと思ったりもしますが、もしもどう思います?と相談を受けたなら、そこはブロックする協力は出来たかなと思いました。
プロフィール

U-BOAT

Author:U-BOAT
福岡県出身。縁あって静岡県浜松市に住み着いて10年になります。
いろいろなことに挑戦してみたいという気持ちは常にありますが、実力が伴っていません。
凝り性ではありますが、ネットの世界では私よりも知識の深い人はいくらでも居ます。
趣味も旅行を始め、多岐に渡ります。ジャンルにとらわれない少しばかり濃い目のブログを作っていきたいと思います。
ご指導、ご鞭撻よろしくお願いします。 2010年8月

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