平成29年11月 中世の水軍を偲ぶ旅 Vol.4
この記事はこちらからの続きです。

ドドドドド・・・・
車はひたすら北上します。

高速道路ができて便利になったなぁ。
この辺りは道がそれほどよくなくて、山間部の国道10号線を通るとかなり時間がかかる行程だった記憶があります。

そうやって快適に移動して臼杵ICから一般道へ。

目的地の駐車場に到着しました。

こんな時間に到着したのは・・

ここですよ。

臼杵の磨崖仏は大学の最後の年にフラッと一人旅で来たことがあります。
その前は母方の中が良かった親戚たちと一緒に・・
私が九州を離れている間に国宝に指定されたものだから、もう一度見てみたいと思った次第。

本当に久しぶりに訪れるわけだけど、全く記憶にないなw

ホーン、こんなんだったっけな??
前を歩くのは若いつがいじゃないですか。アベックとかカップルとかともいうけど。


あー、こんなんだったけなぁ。
国宝に指定されてから磨崖仏を保護するための庇は立派になったんでないかい

そーいえば当時こんなロウソクもみんなで燈したような。
親戚のお兄ちゃんとふざけで吹き消したりしたなぁ。



こんな立派な庇は何時ごろで来たんだろう。
ここに残された磨崖仏は平安時代後期の作と伝えられています。
彫刻するのに適した軟らかめの石だったから、風化も激しいのよね。


立派ですなぁ。
子どもの頃は全部同じように見えたなぁ。今も同じように見えてしまうけど。


こちらなんかはかなり風化していますね。
この金剛力士像以外はほとんどなにがあったかさえ分からなくなっています。
でも、それがかえって神秘性を高めているように感じます。

こんな写真もありました。
小学校の頃、大学生の頃に見た時はこんなだったな。

そしてここの磨崖仏群の真打ち登場。
国宝指定とともに崩壊していた胴体部分を復元しています。

臼杵磨崖仏群が国宝指定されたのは、この磨崖仏の表情が非常に良いと評価されていたという事が一番の理由だとか聞きました。
確かに以前の旅行の時に(詳細はこちらをクリック)見た大分にある石仏は技術的にちょっと稚拙と言うか、素人さんが一生懸命に作った感があるものが多いのです。体形が4頭身くらいだったりするし。

昭和の頃から臼杵市の大事な観光名物、有名な磨崖仏でした。
ところでこの石仏にまつわる面白い話があります。
私が大学生の頃に臼杵市内のお安い宿に泊まった時に伺った話ですが、以前(昭和50年前後頃まで?)はこの石仏の目の前まで軽トラみたいな小さい車で入っていけたとのことでした。
それがある日、この石仏の頭が盗難に遭う!と言う大事件が起こったそうですw
臼杵市内は大変な騒ぎとなり、
「臼杵の大切な宝が・・・」とか、
「誰がこんなひどい事を・・・」とか、
しまいには「仏罰が下るんじゃないか」とか、大変な大騒ぎになっていたところ・・・
暫くして臼杵市役所(だったと思う)の玄関の前にそっと返されていたらしいです。
仏罰と言うフレーズが効いたんでしょうね。犯人はきっと生粋の日本人だと思う。
その後、同じことが起きないように徒歩でしか入れないようになったそうです。

こちらは国宝指定された時の状態の写真です。
これはこれで凄みがあったんですよ。それだけは記憶に残っています。

それでは戻ろうかな。
帰路はこのように直接下の道路につながっています。
だから実は何食わぬ顔をして出口側から入ればこれら石仏群はタダで見ることが出来るんですねw
そんなしょーも無い事だけは記憶に残っていて、国宝指定された現在はどうかと思って確認に来てみました。どうやらそこだけは緩いようでした。
罰が当たりたくなければそーゆーことは止めましょうね。


それでは次の場所へ移動しよう。

次は別府市内に入ることになります。

次来るときはおじいちゃんになってしまったときでしょうか。
どんな感じに見えるのかな。感動して泣いちゃうのかな。

ズズズズ・・・
臼杵方面から別府までの移動は高速道路が無い頃は特に大変だった記憶がありますよ。
今は高速道路があるからあっという間です。

別府市内でしなくてはならないことがありましたが、特に写真は無し。
数時間のタイムラグがありますが、その後鉄輪(かんなわ)温泉の温泉街へ。


こんな時間には・・

旅館に到着しました。


旅館内へ。
部分はいかにも昭和の旅館ぽいですが・・

逆側は何だか人の家に来たみたいな旅館でした。

部屋はこんな感じ。
旅館全体が段差が多くて、バリアフリーとは程遠い感じ。
こんなちょっと懐かしい、昭和っぽい旅館が鉄輪温泉には多くあります。

荷物をほどいて、さっさとお風呂に入ったらこんな時間。
お食事です。

下の食堂で食べるのかと思ったら、意外に部屋食。
並べられた食事はと言うと・・


まずはありがちな酢のものと焼き物。

魚。名前は失念。

これは鉄輪温泉の名物の地獄蒸し。
冷えていましたけどw

トリ天。

椀物。

そして今回のメインです。

関アジの船盛w
浜松の料亭なんかで出ると、3切れくらいで1000円くらいになりそうw
私が小さい頃はまだブランド化されていなかったので、魚屋さんで「今日は大分で獲れた美味しいアジがある」とか言われて売られていましたね。ずいぶんな高級になったものです。
でも、それで商売をしている人たちにとっては高く売れてくれる方が良いに決まっているんです。

地獄蒸しの温泉卵はこんな具合。

いただきます!

ごっそーさんでした!!
ところでこの日はホークスとホエールズの日本シリーズ第6戦があっていました。
試合中盤までで3対1とホークス劣勢。
息苦しい雰囲気の展開だったし、見ているだけで辛くなる・・

・・というわけで、この日はこの写真を撮ったら寝てしまいました。
この記事の続きはこちらをクリック。

ドドドドド・・・・
車はひたすら北上します。

高速道路ができて便利になったなぁ。
この辺りは道がそれほどよくなくて、山間部の国道10号線を通るとかなり時間がかかる行程だった記憶があります。

そうやって快適に移動して臼杵ICから一般道へ。

目的地の駐車場に到着しました。

こんな時間に到着したのは・・

ここですよ。

臼杵の磨崖仏は大学の最後の年にフラッと一人旅で来たことがあります。
その前は母方の中が良かった親戚たちと一緒に・・
私が九州を離れている間に国宝に指定されたものだから、もう一度見てみたいと思った次第。

本当に久しぶりに訪れるわけだけど、全く記憶にないなw

ホーン、こんなんだったっけな??
前を歩くのは若いつがいじゃないですか。アベックとかカップルとかともいうけど。


あー、こんなんだったけなぁ。
国宝に指定されてから磨崖仏を保護するための庇は立派になったんでないかい

そーいえば当時こんなロウソクもみんなで燈したような。
親戚のお兄ちゃんとふざけで吹き消したりしたなぁ。



こんな立派な庇は何時ごろで来たんだろう。
ここに残された磨崖仏は平安時代後期の作と伝えられています。
彫刻するのに適した軟らかめの石だったから、風化も激しいのよね。


立派ですなぁ。
子どもの頃は全部同じように見えたなぁ。今も同じように見えてしまうけど。


こちらなんかはかなり風化していますね。
この金剛力士像以外はほとんどなにがあったかさえ分からなくなっています。
でも、それがかえって神秘性を高めているように感じます。

こんな写真もありました。
小学校の頃、大学生の頃に見た時はこんなだったな。

そしてここの磨崖仏群の真打ち登場。
国宝指定とともに崩壊していた胴体部分を復元しています。

臼杵磨崖仏群が国宝指定されたのは、この磨崖仏の表情が非常に良いと評価されていたという事が一番の理由だとか聞きました。
確かに以前の旅行の時に(詳細はこちらをクリック)見た大分にある石仏は技術的にちょっと稚拙と言うか、素人さんが一生懸命に作った感があるものが多いのです。体形が4頭身くらいだったりするし。

昭和の頃から臼杵市の大事な観光名物、有名な磨崖仏でした。
ところでこの石仏にまつわる面白い話があります。
私が大学生の頃に臼杵市内のお安い宿に泊まった時に伺った話ですが、以前(昭和50年前後頃まで?)はこの石仏の目の前まで軽トラみたいな小さい車で入っていけたとのことでした。
それがある日、この石仏の頭が盗難に遭う!と言う大事件が起こったそうですw
臼杵市内は大変な騒ぎとなり、
「臼杵の大切な宝が・・・」とか、
「誰がこんなひどい事を・・・」とか、
しまいには「仏罰が下るんじゃないか」とか、大変な大騒ぎになっていたところ・・・
暫くして臼杵市役所(だったと思う)の玄関の前にそっと返されていたらしいです。
仏罰と言うフレーズが効いたんでしょうね。犯人はきっと生粋の日本人だと思う。
その後、同じことが起きないように徒歩でしか入れないようになったそうです。

こちらは国宝指定された時の状態の写真です。
これはこれで凄みがあったんですよ。それだけは記憶に残っています。

それでは戻ろうかな。
帰路はこのように直接下の道路につながっています。
だから実は何食わぬ顔をして出口側から入ればこれら石仏群はタダで見ることが出来るんですねw
そんなしょーも無い事だけは記憶に残っていて、国宝指定された現在はどうかと思って確認に来てみました。どうやらそこだけは緩いようでした。
罰が当たりたくなければそーゆーことは止めましょうね。


それでは次の場所へ移動しよう。

次は別府市内に入ることになります。

次来るときはおじいちゃんになってしまったときでしょうか。
どんな感じに見えるのかな。感動して泣いちゃうのかな。

ズズズズ・・・
臼杵方面から別府までの移動は高速道路が無い頃は特に大変だった記憶がありますよ。
今は高速道路があるからあっという間です。

別府市内でしなくてはならないことがありましたが、特に写真は無し。
数時間のタイムラグがありますが、その後鉄輪(かんなわ)温泉の温泉街へ。


こんな時間には・・

旅館に到着しました。


旅館内へ。
部分はいかにも昭和の旅館ぽいですが・・

逆側は何だか人の家に来たみたいな旅館でした。

部屋はこんな感じ。
旅館全体が段差が多くて、バリアフリーとは程遠い感じ。
こんなちょっと懐かしい、昭和っぽい旅館が鉄輪温泉には多くあります。

荷物をほどいて、さっさとお風呂に入ったらこんな時間。
お食事です。

下の食堂で食べるのかと思ったら、意外に部屋食。
並べられた食事はと言うと・・


まずはありがちな酢のものと焼き物。

魚。名前は失念。

これは鉄輪温泉の名物の地獄蒸し。
冷えていましたけどw

トリ天。

椀物。

そして今回のメインです。

関アジの船盛w
浜松の料亭なんかで出ると、3切れくらいで1000円くらいになりそうw
私が小さい頃はまだブランド化されていなかったので、魚屋さんで「今日は大分で獲れた美味しいアジがある」とか言われて売られていましたね。ずいぶんな高級になったものです。
でも、それで商売をしている人たちにとっては高く売れてくれる方が良いに決まっているんです。

地獄蒸しの温泉卵はこんな具合。

いただきます!

ごっそーさんでした!!
ところでこの日はホークスとホエールズの日本シリーズ第6戦があっていました。
試合中盤までで3対1とホークス劣勢。
息苦しい雰囲気の展開だったし、見ているだけで辛くなる・・

・・というわけで、この日はこの写真を撮ったら寝てしまいました。
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コメント
No title
石仏を保護する鞘堂は、創建当時から建っていたとの考古学調査の結果わかりました。
ただし、建築様式までは特定しにくいため、周囲の景観に配慮した想像の建物として、平成6年に建てられました。
なお石仏の作者は不明ながらも、一部の美術史の研究者の考察として、運慶・快慶らの仏師集団が関与していたとの説もあります。
ちなみに、臼杵石仏群が国宝指定するために文化庁から出された要求は、あの「生首」状態を解消することが条件でした。
ただし、建築様式までは特定しにくいため、周囲の景観に配慮した想像の建物として、平成6年に建てられました。
なお石仏の作者は不明ながらも、一部の美術史の研究者の考察として、運慶・快慶らの仏師集団が関与していたとの説もあります。
ちなみに、臼杵石仏群が国宝指定するために文化庁から出された要求は、あの「生首」状態を解消することが条件でした。
Re: No title
ジモティーさん、こんにちは。ご無沙汰しています。
臼杵の磨崖仏の国宝指定の件、よく分かりました。
生首状態を何とかしろと言われても、胴体はオリジナルを忠実に再現したんでしょうか?
それとも創作なんでしょうか?
ところで佐伯、津久見周辺は観光に関わる情報が非常に少ないと思うので、立ち寄ることが無かったのですが、何か良い情報はありますでしょうか?
臼杵の磨崖仏の国宝指定の件、よく分かりました。
生首状態を何とかしろと言われても、胴体はオリジナルを忠実に再現したんでしょうか?
それとも創作なんでしょうか?
ところで佐伯、津久見周辺は観光に関わる情報が非常に少ないと思うので、立ち寄ることが無かったのですが、何か良い情報はありますでしょうか?