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平成29年5月 久しぶりの宮崎カーフェリーの旅 Vol.4

この記事はこちらからの続きです。



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翌朝です。
こんな時間に起きました。

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幸い天気もよさそうです。





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朝風呂に入ってゆっくりしました。

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朝食も部屋食ではありません。
昨晩とは違う大広間に通されました。

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朝食はこんな感じ。
旅館の中が静かだったので、夕食の時は意外に宿泊客が多いなと思ったのですが、朝食の時はさらに人が多く感じました。

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これは薩摩黒酢のジュースです。
いろいろと女性が好みそうなものをそろえています。

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湯豆腐は出汁用の昆布が変に美味しかった。

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おかずがかなり多いからご飯が進みました。

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食後のコーヒー。
温泉水を使っているそうです。
硫黄を含んでいるはずですが、コーヒーを沸かしても全く気にならず。

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朝から腹いっぱいになりましたよ。
それではこんな時間になったので、出発しましょう。

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女性も多かったけど、子供さんも多かったようです。
隣の部屋は子供が多くてにぎやかだったな。

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ところで今回宿泊した紫尾温泉。
共同浴場があります。
紫尾地区の方は100円、その他の地区の方は200円で利用できますが、この源泉の湧くところにある共同浴場、神社の境内の中に立地しているのです。

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紫尾神社ですね。

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紫尾温泉を神の湯と言うのはそういった謂れもあるからのようです。
ここはとても気持ちの良い温泉でした。

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それでは出発しよう。

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紫尾温泉は少々交通の便の悪い山奥にありまして、昨日下りた横川ICまで約1時間くらい下道で引き返して九州自動車道に入ります。

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人吉方面へひたすら北進。
この景色は何となく印象に残っていました。

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途中熊本のSAで小休止。

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ピンボケになってしまったけど、阿蘇山麓の牧場で飼育している牛乳で作ったジェラードなんぞを頂きました。

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その後もさらに北進。

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久留米市周辺で高速道路を下りてしばらく下道を走ると・・

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見えてきました。

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望遠で拡大するとわかると思います。2つの塔(ドーム?)を持つ建物が数軒。

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付近の付属する施設の駐車場に車を置きました。

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こちらの建物は・・

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今村天主堂と言う建物です。
福岡に居たころ1度訪問したことがあります。

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建築設計は鉄川与助。
長崎県五島列島を中心に多数の教会建築に携わった人です。

どうして長崎を中心に活躍した人が福岡で仕事をしたのか?

実はこの今村集落には江戸時代から隠れキリシタンがひっそりと暮らしていた所だそうです。そこにたまたま長崎の同じく隠れキリシタンだった商人が商売のためやって来たところ、自分たちと似たような慣習がある彼らの存在に気付いて「お前らひょっとしたらキリシタンじゃね?」となったことから長崎と福岡県今村集落の隠れキリシタンの人々の間に交流が出来た、その所縁で明治時代になって鉄川与助の作品が建てられたという事らしいです。

特徴的なのは鉄川与助の作品としては珍しく、双胴の教会であること。(長崎に現存する教会は塔は1つのみの物ばかり)
同時期に設計した旧浦上天主堂(昭和20年8月原爆投下のため焼失)とかなりの近似性が見られるそうです。

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そんな事を誇らしげにブログに書こうと思ったら、看板が出来ていて、ちゃんと書いてありました。
国の重要文化財になったため、来訪者が増えたこともあって作ったそうです。

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パンフレットは配っているけど、今後の建物の改修保存のための浄財を・・とのことで500円置いて行きました。

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中はこんな感じ。
見せてはくれるけど、写真は撮っちゃダメとのこと。
熊本の時もそうだったな(詳細はこちらをクリック)。何か理由があるのかと思って伺うと、人が祈りをささげる所だから写真を撮るのは似つかわしくないという理由もあるけど、あとは何か変な事(商業的なこと?)に利用されることがあると困るからとのこと。

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文化財に指定されたこともあって、詳細を知ることが出来ましたよ。
塔の片方の窓が塞がれているのは、改修工事でたまたま塞いだのかと思っていましたが、実は窓がある方の塔に鐘が下がっていて、建築当時からこうだったそうです。

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細部を見て回りました。

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こうやって見てみると、一部レンガに亀裂が入っていたり、素人の私でもわかるような歪みがあったり・・

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率直に耐震基準を満たしているのか尋ねてみました。
すると「その工事に入るのはこれからなんです。」との返事でした。

それから「3500万円」かかるとも。
それは大変ですね、でも想像したよりも高額ではないなと思ったら・・
なんと調査費用が3500万円だそうで!

それは大変だなぁ。

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水田地帯の真ん中にポツンとあるこの教会は基礎も決して頑丈であるはずもないそうで、塔周辺も少し沈下しているとのこと。
写真では分かりませんね。

これからまず調査費用の3500万円用意するのも大変ですな。(重要文化財であっても自前で用意しなくてはならないそうです)
でも今は亡き旧浦上天主堂と近似性を持っているんだし、鉄川与助の作品としては珍しい双胴の教会建築だし、是非残してください。

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最後に表の入り口から写真を1枚。

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それでは出発しよう。

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今村教会を出発して10分程度車を移動してこの時間に次の目的地に到着しました。

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太刀洗平和記念館です。
同行者はどこかの宗教施設に連れられてきたのではないかと心配していましたが、そんな事は無いです。


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ここ太刀洗はもともと陸軍飛行場があった所でした。
もともと第3セクター甘木鉄道太刀洗駅舎内にあった太刀洗飛行場に関わる私設博物館が同駅が無人化されるのを機会に行政に引き継がれたものです。

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床には太刀洗飛行場周辺の航空写真があります。
かなり大規模だったようですね。

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太刀洗飛行場は激しい空爆を受けています。
天井側にはB29と同じサイズの機体サイズのフレームが巡らせてありました。
見上げてみても、それほど巨大でも無いという印象だったかな。

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飛行機の模型の展示品もありました。
この機体はちょっと夢があって好き。前翼型局地戦闘機震電。
設計は九州飛行機。同社は太刀洗飛行場付近にありました。同飛行場が空爆にあったため、付近にあった九州飛行機の工場は疎開してしまったそうです。しかし実際に試験飛行まで漕ぎ付けました。
その場所は蓆田飛行場。現在の福岡空港です。

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30mm機関砲4門搭載。かなりの重武装。
現在はアメリカに1機だけ現存しています。
ちなみに九州飛行機の末裔の会社も現存していまして、現在も盛業中だそうです。

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この記念館の白眉の存在はやっぱりこれだなぁ。
零式艦上攻撃機。
訪問時は中学校の修学旅行生?社会科見学旅行?の御一行と一緒だったので、非常に人が多かったのですが、辛抱強く待っていると次第に全体が撮れるようになりました。

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緩やかなカーブを描くのが日本機の特徴と思っています。

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更に待っていると誰も居なくなったタイミングで写真が撮れました。

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この主翼の先端部のまっすぐに落とした形状から分かるように32型。

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世界で唯一現存する零式艦上攻撃機32型です。

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うーん、いいねぇ。
中学生たちが去るのを非常に辛抱強く待った甲斐がありましたよ。

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緩やかなカーブを描いた機体はとても日本的で美しいと思うけど、曲線基調なのは大量生産には向かないと思うのです。
実際生産段階では取り寄せたジュラルミン鋼板一つ一つを現物合わせで職人さんたちが組んでいったのではないだろうか。
戦局の悪化とともに、熟練の職人さんたちも減っていったのではないだろうか。
そんな事も大戦末期に本来の性能を発揮できない機体が増えて行った原因だったのではないだろうか。

館内にはその他97式艦上戦闘機も展示してありましたが、こちらは撮影禁止。
大戦中の展示品も多数ありました。

下調べ不足でしたが、太刀洗飛行場は大戦末期は特攻隊の中継基地の役目を果たしていたようです。
たくさんの隊員の遺書の展示がありました。
私よりもお若そうな女性がハンカチで鼻の辺りを押さえながら一つ一つ読んでいるのを見ると、私も読み飛ばすわけにもいかない気がして丹念に読みました。

結構泣けたなぁ。

この施設は思想的に変な偏りが無いように思われます。
国のために亡くなった先人たちを忘れないように、未来に向かって進んでいくことを啓蒙しているような印象です。

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記念館を出たのがこの時間。

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そろそろ帰りのフェリーの出港時刻が気になってきた。
港に向かおう。

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そのままさらに北に進んでいきます。
ちょっと私の故郷の辺りまでアプローチすることにしました。

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フェリーの出港時刻までは多少余裕があります。
適当に道草を食うことにしました。

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筑豊本線筑前内野駅までやって来ました。

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筑豊本線は若松方面から進んで嘉穂郡内のJR桂川(けいせん)駅を出ると福岡市につながる篠栗線が分岐します。
現在はそちらがメインルートになりましたが、篠栗線が全通するまではこちらがメインルートでした。
自慢じゃありませんが(私の事のように自慢してもしょうがないですが)、昭和59年までは佐世保と新大阪を結ぶ寝台特急あかつき号がここを通って行ったんですね。
筑豊地区は石炭景気華やかなりしころは全く無視できない経済規模を誇っていたようです。

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ネット上でこんな写真を見つけました。
昭和の頃は跨線橋もあって、ホームも2面使っていたのね。

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それからここに寄ったのはそんな事が言いたかっただけではなくて、長崎街道内野宿の街並みが少し残っていたからです。
10年ぶり以上だけどどうかな・・

・・と思って歩いてみたら、以前よりもさらに寂れてしまった印象w

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こういう建物も残ってはいるものの、実際は明治期以降の建物らしいのです。

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確かにこんな庇はあきらかに洋風の意匠だと思います。

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江戸期から残る建物はこれ1軒のみになっていました。

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ひええ・・、これも殆ど崩壊しそう。
以前はもう少し鏝絵の施された白壁の家もあった気がしたけどな。
内野宿は3度ほど大火に見舞われたそうで、歴史的資料はほとんど失われたのだそうです。

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とほほ・・、何か依然と違って観光看板も出ていたから期待したけど、ここは厳しいのね。

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それではそのまま飯塚市内へ。

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寄ったのはここ。嘉穂劇場。
以前訪れたことがあります。(詳細はこちらをクリック
同行者が偉く喜んでいましたが、この日は何か催し物があっていたため、中には入れませんでした。
駐車場を管理している年配の女性に伺ってみたら、ある有名な陶芸家の方が亡くなられて、その告別式が行われているとのこと。

でも、なんだか宴会があっているような雰囲気がしますね。
その方に「ずいぶんと賑やかな告別式ですね。」と言うと笑っていました。
しょうがない次に行くか。

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やがてこの時間に到着したのは・・

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ここ、私の大好きな回転寿司一太郎。

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ウェーイ!
同行者よ、美味い寿司を食わせてやろう。今日の晩御飯にするから持ち帰りにするぞ!

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2パックほど文字通りギュウギュウ詰めの寿し折りを作ったら港に向かって出発。

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目指すは名門大洋フェリー新門司港ターミナルです。

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ズドドドドド・・・・!
私の故郷の人たちはせっかちな性格の方が多いです(私を含めて)。
国道202号線バイパスは一般国道なのに、時速100キロ近いスピードで流れていました。

九州自動車道路は100キロ以上のスピードで流れています。

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新門司ICから下道へ。

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暫く走っていくと・・

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見えた!

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無事午後7時前には到着しました。




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コメント

非公開コメント

No title

品数の多い朝食は見ただけでお腹いっぱいに(苦笑)。コーヒー用に「○○の湧き水?」を、汲んでる人達が居ますね。
>あとは何か変な事(商業的なこと?
最近は「人の褌で相撲を取る」が、顕著ですからね。困るだけならともかく、迷惑が発生してませんでしたっけ。勝手に使い、しかも間違いか何かで元へ波及した。

耐震化工事をはなから諦め、閉鎖解体休業をちょくちょく耳にしてます。ウラ読み?経済への波及効果狙いが逆に……。
星型配置のエンジンは工業的芸術品? カウル外してる方が見栄えが良い? でも、埃は溜まります。

寝台特急(急行)は様々な要因から切り捨てたのでしょうね。運行路線への人員配置は非常対応を考えると半端無いし、対抗交通手段が発達するし、パーソナルスペースは必要だし(三段廃止、個室化)、売り上げは少ない(少定員)。
北海道では札幌から稚内、網走、釧路方面全てに寝台急行を毎日運行してたんですけどね。実は、ほぼ全てに乗ってます、年代もコメントされてる時期に近い? 乗ってないのは釧路-帯広間。網走から釧路に向かわず、池北線経由で帯広乗換えを選んだ結果でした。

No title

こんにちは。

筑豊本線の桂川~原田の冷水峠は、昔から昼間もほとんど列車がないですね。寝台特急あかつき、それ以前の明星、新幹線博多開業以前の特急かもめ、夜行急行天草などが筑豊本線経由だったのは、晩年は筑豊炭鉱の威光というより、上り列車の場合、博多で指定席が埋まると熊本、長崎、佐世保から乗車できない事情があったようです。1980年代は、ほぼその名残ですね。

No title

ゴシック建築を思わせますね。さらに外観は見た瞬間イメージしたのは、フランスのあの教会。
ノートル○○。ですね。

あれ?車の後部座席のスモークはもうつけてないのですね。この方が車が生きます。

Re: No title

秋田利用さん、こんにちは。

アメリカには相当数の第2次大戦時の日本機があるようですね。震電の機体も。
日本が空冷エンジンにこだわった理由は液冷式だと1発でも被弾して冷却水漏れが起こるとたちまちエンジンの焼き付きが起こるのに対して、空冷エンジンだと2,3発被弾しても回り続けることに利点を見出したとか、なんとか。

私は平成年代に夜行急行まりもで札幌と釧路の間を往復したことがあります。
自由席を利用しましたが、きつかったです。早朝に釧路駅で降ろされて、後悔した覚えがあります。
2等寝台はつないでありましたが、寝台券6000円と消費税がとてもじゃないけど払えなかったのでした。

Re: No title

ゆうなぎさん、こんにちは。

筑豊線の優等列車にお詳しいですね。
急行天草の前だか後に急行阿蘇が走っていた時期もあったのですが、私の母は線路上で遊んでいてその急行列車を止めてしまった前科があります。
祖父が偉い方だったので、うやむやになったそうですよ。
あかつきは父にせがんで直方駅から新大阪まで乗った記憶がありますが、夜直方駅に寝台列車が進入するのを見て感動した記憶があります。

Re: No title

サッピエロさん、こんにちは。

今村教会は耐震工事をしたら何億円かかるのでしょうね。
外装がレンガ造り、内装が木造の古い教会はとても雰囲気が良かったです。
ベンツは後部座席のスモークはつけたままです。色が薄いので・・
プロフィール

U-BOAT

Author:U-BOAT
福岡県出身。縁あって静岡県浜松市に住み着いて10年になります。
いろいろなことに挑戦してみたいという気持ちは常にありますが、実力が伴っていません。
凝り性ではありますが、ネットの世界では私よりも知識の深い人はいくらでも居ます。
趣味も旅行を始め、多岐に渡ります。ジャンルにとらわれない少しばかり濃い目のブログを作っていきたいと思います。
ご指導、ご鞭撻よろしくお願いします。 2010年8月

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