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ベンツの安全思想vol2

ベンツテール
1970年代以降の設計のベンツの車両はこの写真のようにテールランプはギザギザの段差が付けられていました。
これもこの会社なりの安全思想が盛り込まれていたようで、雪や泥などでランプが汚れてしまっても視認性が落とさないようにするためにあえて段差をつけたようです。
ついでにこのシリーズの先代の縦目のSクラスとはうって変わってテールランプが大型化されています。

そう言えば高校生の頃熱心にベンツのカタログを読み込んでいる友人がいましたが、そいつからカタログを借りてみたら確かに雪まみれになったベンツの車両の写真を見せて、ここまで雪をかぶってもストップランプが点灯しているのを確認できます見たいな説明文があった記憶があります。

そして現在、ギザギザの段差は次第にそのデコボコ加減が少なくなっていき、2010年発売されている最新型では殆ど無いのではないでしょうかね?
考え方が変わったのか、きっと色々な試行錯誤をしているのでしょう。

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ベンツの安全思想vol1

ダイムラーベンツ社がかつて公言していた「最善か無か」。最高の物が作れないならいっそのこと作らないほうがよいという考え方は20代の頃の私は何だか凄くすかしている感じがして嫌いでした。
今は嬉々として乗り回していますが。

そういうダイムラーベンツ社の考え方の一環として世界に先駆けて衝突安全対策を行っていたようです。
西ドイツ(当時)本国で自社の車の事故が起こったと聞きつけたら時として警察よりも早くに駆けつけて事故の検証をしたとか。(今そういうことをするのはまずいかもしれませんが)

社内衝突実験で車の中に本物の人間の死体を乗せて車をぶっつけてみて死体の損壊の程度を調べたりとかちょっと怖い話もあります。(今はさすがにしていないと思いますが)

実際に歩行者と車の衝突事故が起こったとき、歩行者を出来る限り傷つけないようにボンネットのベンツマークが倒れるなんてことも相当に早い時期からやっていたようです。
さらに人を轢いてしまうのと跳ね上げてしまうのでは後者の方が生存の可能性が高いのはもっともな話。
私の車の世代(基本設計は1960年代ですね)でも既にその辺の研究はされていて歩行者とぶつかるとき、下に轢いてしまうのではなく、跳ね上げるように考えてフロントマスクの成形を行ったらしいです。

ベンツマスク
そこで改めて私の車を良く見てみると・・・
本当に人を跳ね上げるように考えてあるのかさっぱり分かりません。
ていうか、こんな金属製のバンパーで歩行者にぶつかったら、ぶっつけられた人は真剣に痛いでしょうね。
ちょうど弁慶の泣き所の高さだし・・

やっぱり安全運転に取って代わるものは無いと思います。

わが愛車、名前はグラーフシュペーと言ふ

ベンツ斜め

この車には何となく愛称をつけています。グラーフシュペー、ドイツで先の大戦の初期に活躍したドイッチュランド級装甲艦の名前アドミラルグラーフシュペーから取っています。

ベルサイユ条約によるがんじがらめの規制の中、生み出されたこの艦の全長は186メートルと太平洋フェリーの3姉妹よりも小さいながら当事の戦艦並みの武装を持つため、ポケット戦艦とも呼ばれました。
主に大西洋、インド洋で活躍し、ドイツ海軍の通商破壊作戦において重要な役割を果たしました。
ナチスドイツといえば冷酷無比のような印象をもたれますが、この艦の艦長ラングスドルフは捕虜の取り扱いは常に紳士的であったとされているし、シュペーを自沈させた後自身は軍艦旗をまとい自決しています。海の男のニヒリズムを感じた次第です。
自宅に「戦艦シュペー号の最後」という古い映画のビデオがあったのでアップしようと思いましたが、どこにしまいこんだんだか分かりませんでした。
内容はというと実際の艦とは似ても似つかないアメリカの軍艦をシュペー号に見立てて内容が進行しているし、何のどんでん返しも無く淡々と事実に即して進行する、いかにも古い世代のミリタリー映画でした。
アドミラル・グラーフ・シュペー (装甲艦)
ラングスドルフ艦長

船ヲタ料理 肉じゃが

日本人で肉じゃがが嫌いなんていう人はそうそう居ないのではないかと思いますが、皆さんはどうですか?
自宅の食材でジャガイモが大量にだぶついたので、久しぶりに肉じゃがが夕食に出ました。
既に箸でつついた後ですが、我が家のはこんな感じです。
肉じゃが

船ヲタ、ミリ(タリー)ヲタの人ならご存知と思いますが、この料理は明治時代に大日本帝国海軍で生まれた料理です。
発案者は・・そう、東郷平八郎。
イギリスに留学している間に食べたビーフシチューがいたくお気に入り、日本に帰国してから料理人に作らせたもの。
もちろんワインもないし、デミグラスソースも無いから東郷平八郎のイメージであんな感じ、こんな感じみたいに言っているうちにこんな感じになったのでしょう。

と言うことで発祥の地はと言うと舞鶴か呉と言うことになっています。
共に鎮守府があったところで東郷平八郎が赴任したところだからそれを理由にしているそうですが、一時はどちらが元祖かでもめたようです。
もちろん共に確証がないため現在では双方共に肉じゃがの発祥の地としているようです。

しかしてこの辺はあまり語られていないようですが、確か九州に居た頃に仕入れた情報によると、よくよく調べてみたらどうも東郷平八郎はそれ以前に佐世保に赴任していた時期があるようで、その頃に肉じゃがが生まれたのではないかと言う説が有力になりました。
そこで、恐る恐る双方の観光協会が佐世保の観光協会に問い合わせたところ、「佐世保はハンバーガーの発祥の地ですが、肉じゃがについては分かりません」みたいな回答があったとか。
まるで大岡裁きのような逸話であります。

平成20年4月東北旅行 太平洋フェリーきたかみ

デジカメに残っている写真を頼りに記憶をたどり寄せたものです。
4月下旬、ゴールデンウィークに入る直前に東北へ旅行に行きました。その主たる目的は奥会津の温泉に入ること。

4月23日、仕事を5時きっかりで終わらせてそのまま名古屋港へと車を走らせました。
浜松から2時間もあれば余裕で着くと踏んでいましたが、なんと岡崎あたりで事故渋滞!!
10数キロに及ぶ渋滞にはまりました。
そんなこんなで到着は出航ぎりぎりの7時50分頃。(2010年現在は高速の割引料金適応時間が増えたため、なおいっそうこのあたりの渋滞の頻度は増えているような気がします。)

太平洋フェリーきたかみに乗りこみました。
利用したのはスウィートルームだったと思います。名古屋港のボーディングブリッジに段差があるかどうか記憶が無いのですが、嫁さんに子供を連れて行くのをお願いして、私が車を車両甲板に入れた後、大量の荷物(オムツとかその辺の周辺機器?)をふうふういいながら持ち込んだ記憶はしっかりあります。

いしかりときたかみ、この太平洋フェリーの2船ではいしかりの方が人気があるようですが、私はきたかみの方に魅かれます。スウィートルームの装飾などはこちらの方が良いと思うのですが・・・
きたかみスウィート1

きたかみスウィート2

きたかみスウィート3
そしてそのままの足でレストランへ。
レストランの写真もごく僅か。子供メインの写真はその家族以外はそんなに楽しめるものではありませんが、こんな感じでした。
きたかみレストラン

きたかみレストラン2

レストランで夕食をとった後は子供の入浴を済ませ、自分の仕事も済んだと思ったらどっと疲れが出てそのまま入眠しました。
翌日は7時頃に何となく目を覚まし、船内を探検。
ブログを書くつもりなんか全く無かったので、写真はありません。
でもこの航路みたいに着岸が夕方とかいった航路では朝の船内に漂う気だるい感じがなんとも言えず良い感じだと思います。

このときの航海は比較的穏やかで定刻に仙台着岸となりました。
車を下ろして嫁さんと子供を拾い、そのまま高速道路に乗って鎌先温泉、最上屋旅館に投宿となりました。
この最上屋旅館、古い建物を大事に使っていて、昔の旅籠のような感じです。
仙台着が夕方だと鎌先温泉に到着は夕方6時半ころになってしまうのですが、旅館の方は何一つ嫌な顔をせず対応してくださいました。

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平成19年初夏の東北旅行

私の長女は平成18年12月に生まれました。
体重3300グラム。出産に関わる大きな事故もなく五体満足で生まれたことに感謝しています。

産後暫くは子供の世話に追われて旅行はままならず、と言っても私は一度おれんじホープのワンナイトクルーズ(新居浜から往復)に行ったりはしていますが、家族でどこかへ行くとは控えておりました。
生まれたばかりの子供と言うものは日一日一日として常に同じ顔をしているのではなく、びっくりするほどめまぐるしく変わる成長の過程を観察することが出来るということを実感させられました。

そこで(と言う振り方も不自然なんですが)産後半年たって嫁さんからそろそろフェリーに乗りたいという申し出がありました。
平成19年の7月あたりの日程で計画を立てたと思います。
名古屋発太平洋フェリーで仙台まで行き、仙台近郊で一泊、秋田市で一泊、その後新日本海フェリーで帰って来るというプランにしました。

この頃はまだ高速道路もそれほど渋滞はしておらず、スムーズに名古屋まで移動できたのは覚えていますが、その後太平洋フェリーは何に乗ったのか記憶がありません。
夕方仙台に下りて宿泊したのは白石市の旅館。ここはお気に入りなのでいつかブログでアップしたいと思います。
私が岩手にいた頃お世話になったイナデパ(田舎のデパート)で食事をしてみたりと、とても普通の観光ガイドではありえないようなコースを楽しんで秋田に向かいました。

そこで宿泊したのはルートイン秋田土崎。新日本海フェリー秋田港が目の前です。
かつて一度利用しようとしたのですが、秋の爆弾低気圧にぶつかってしまって船が欠航してしまいました。
だから秋田港から新日本海フェリーを使うのはこのときが初めてでした。

利用したのはしらかばだったと思います。(中が木目調の暖かな印象の内装でした)
この頃より新日本海フェリーは個室貸しきり料金廃止とスウィートルームの食事サービスを始めていました。
前回のグリルを利用した経験から食事の内容は期待しないようにしておこうと嫁さんと申し合わせていました。
乗船して案内所に行くと通常のグリルメニューとは違うものが供されるが、グリルメニューの半額を追加すると通常メニューに格上げされるよと案内されました。
私たちは(多分美味しく無いから)結構ですと、通常メニューにしてもらいました。

無事の出産を祝うための旅行でしたからスウィートルームを指定していましたが、部屋に入ってみるとそれはそれは広くて品のある美しい部屋だと思いました。(フェリーらべんだあのくたびれまくった船内は一体何だったんだ)

あざれあ・しらかばはその当時で既に新日本海フェリーの8姉妹の中では一番古いはずだったのですが、船内の殆どのエリアがとても美しく整備されていると感じました。
嫁さんが「前のときと全然違うね・・・。」と驚いている様子でした。

お昼の食事の時間が来ました。
「多分美味しくないけど雰囲気だけでもね。」と向かったレストラン。
何日も洗っていなさそうな上着を着たおっさんがバタバタ出てきてガチャガチャと皿を置いていくのを想像していましたが、このときは若い女性客室乗務員の方がそつなく給仕してくれました。
出てきた料理は通常メニューでは無いからパスタとサラダだけだったんですが、パスタは米麺にクリームソースが掛かっていて正直言って、(期待してなかったのあってか)非常に美味しく感じさせられました。
夕食もまた然りです。松花堂弁当のようなものでしたが、どの食材も美味しかったです。
かようにグリルでの食事は大変満足いくものでした。

寄港便の敦賀行きは敦賀着は早朝です。
しかしかつてのフェリーらべんだあのように1時間以上前に鍵を回収しに来てドアを開けておけとか言われませんでした。この辺も何か一般乗客に対する接遇に変化があったのだろうかと思いました。
嫁さんは室内においてあったアンケート用紙を持ち帰っていましたが、この旅行から帰った後、本社宛にお礼状を書いているようでした。

これ以降嫁さんは急激に新日本海フェリーのファンになってしまいました。


追伸;グリルの接遇といい、供される食事といい、フェリーらべんだあの時とは全く違っていました。どこかのホテルに研修にでも行ったのだろうか?もしかしたらフェリーらべんだあは何か悪い夢でも見ていたのだろうかと言う気分です。

平成18年初夏の新日本海フェリーの旅

この年の7月初旬に読売旅行の最寄の支店が企画した北海道現地1泊、フェリーで往復2泊の計3泊するプランに参加しました。
かつての悲しい記憶があるため、新日本海フェリーは使いたくなかったのですが、嫁さんの出産が12月頃になりそうなのでその前にフェリーの旅行をしっかりしたいと言う希望があったのと、何よりも(正確な値段は忘れましたが)安いプランだったのでこの企画に参加しました。

日程は出発日当日掛川駅あたりから貸し切りバスで出発。浜松までの各所でお客さんを拾い、敦賀まで行く。
その後新日本海フェリーに乗って苫小牧東港へ。その日の宿泊は札幌市内。
翌日富良野周辺を観光して札幌に戻り、オプションのカニをご馳走する夕食参加の人はどうぞ見たいのがあって(私たちは参加しませんでしたが)、夜苫小牧東港から再び敦賀まで向かうというもの。
往復とも一等室利用でした。
すずらん、すいせんで一等室利用なら一等2人部屋かな?と思い、一応アウトサイドだし、まぁそれなりだろうと期待しないで参加した記憶があります。

実際に船に乗ってあてがわれた部屋は一等4人部屋でした。当時はまだ新日本海フェリーは貸しきり料金を取っていたのですが、私たちのツアーは詰め込まずに計らってくれていました。
と言うことで、使った一等洋室(4人部屋)。2段ベッドながら嫁さんと二人で使うからゆったりと使えました。
しかしなかなか一度決めた評価を改めない私は当時就航したばかりの太平洋フェリーきその一等和洋室を引き合いに出し、まだまだ格下だなんて思ったのであります。

確かこの年から新日本海フェリーもレストラン営業にバイキング方式を導入した記憶がありますが、食事はと言うとあからさまに業務用と分かるもののオンパレード(朝から揚げ物が出てくるのがこの会社の特徴のような)でピンとは来ませんでした。

しかしながら船内を探検しながらよくよく見てみると、船内はとても美しく、静かなフォワードサロンもあるし、レストランとカフェテリアのエリアなどは太平洋フェリーには無い雰囲気の良い構造をとっており、好感が持てました。
たまたま自分たちが乗ったフェリーらべんだあが退役間近だったのもこの会社の船に悪い印象を持った原因なのだろうと感じさせられました。

これならいつか使ってみてもいいかな?と多少態度を軟化させた記憶があります。

その翌年生涯3度目の新日本海フェリーの旅行をします。詳細はこちらをクリック

平成22年妻籠の旅

浜松に引っ越してきて何度か嫁さんに木曽路の宿場町を見てみたいという希望が出されていました。
どうしてもフェリーで移動みたいな旅行を優先するからずるずると7年間も行くことも無く・・・そこで今回思い立って妻籠に行ってきました。

前日は職場の飲み会。ビールをジョッキ4杯しか飲まないでおいたのに、朝から思いっきり二日酔いでした。(もしかしたら4杯目以降の記憶がないだけかもしれない)
顔を腫らせて布団の中でのた打ち回っている間、嫁さんから白い目で見られているのを背中で感じつつ、無理やり起き出して社宅の掃除を手伝って10時頃に出撃!
といっても出発日の10月9日は朝からしとしとと雨が降っていました。三連休の初日ですから朝8時の時点で既に東名の渋滞は始まっています。既に気分は萎え気味。
中央道の飯田や中津川へ行くとすると豊田ジャンクションの渋滞には嵌ってうんざりするのは明白なので、一般道で山中を越えながら行くことにしました。
静岡県から直接飯田市へ向かっていこうとするといくつかの国道のルートがあるようで、ナビに従って進んでいきました。

昼くらいになると二日酔いによる頭のぼんやり感も取れてきて、腹が減ってきました。
そこで山中にある、小さな道の駅で食事をとることにしました。

道の駅野菜直売
野菜の直売所も結構面白くて、なんやかんやと買って行きました。
コロッケ定食

おにぎり定食
子供の食事も有るからうどんのある定食とボリュームの少な目の別の定食を頼みました。どちらもさっぱりとして美味しくいただけました。
峠を越えると途端に大きな道の駅が二箇所くらいあって、これなら先ほどのこじんまりとした道の駅でゆっくり出来てよかったと感じた次第です。

その後は次第に雨足が強くなるばかり。ドシャドシャ降っていました。
飯田市に着いたら散策するつもりでしたが、とてもそんな気分になれず、本日の宿泊地へ向かいました。
宿泊したのは大妻籠の民宿。
本当は妻籠の宿場町の中に宿泊したかったのですが、やはりそういうところは人気があって、2週間前から予約を取ろうとしても取れませんでした。

民宿についてちょっと落ち着いて、少々暇を持て余しました。
外は土砂降り。これでは木曽路に散策をしに言った意味がないなと不完全燃焼臭が漂いだしましたが、そういってもあれだからとりあえず傘を差してでも妻籠を見てみようということになりました。
旅館の女将ささんにそれを伝えると、「夕方五時を過ぎたら駐車場の管理人さんがいなくなるからそれからにしたら」と。

夜の妻籠1

夜の妻籠2
素直に5時過ぎに訪れてみたら確かに駐車場は無料開放状態でしたが、暗くてあまり景色も見えず。写真はそれでも到着したばかりでそこそこ景色が見ることが出来たときに撮ったものです。
このとき雨はやや小康状態で、嫁さんはそれなりに満足しているようでした。

民宿夕食
民宿に帰って食事。一泊2食付で7500円だから、素朴な食事が出てくると思いましたが、予想通り素朴でした。
二日酔い明けなのについついビールを頼んだら大瓶一本でふらふらに酔いました。
そういうときに限って子供は私と風呂に入るという・・・子供の風呂を入れたら私だけ8時前に就寝してしまいました。

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れいんぼうべる・らぶで行く北海道旅行 平成17年と18年

平成16年の5月末に浜松の事業所に転勤しました。
最初の1年目の夏休みは東北旅行、あまり印象に残っていません。陸路中部地方から東北方面の温泉旅館に泊まりつつ、帰りは仙台港から太平洋フェリーのいしかり、特等和室を利用して名古屋に向かった覚えがあります。

17年は一週間まとまって休みが取れるめどがついたため再び北海道に行くことにしました。
利用するのははじめて私に船旅というジャンルの存在を教えてくれたれいんぼうべる・らぶです。
仕事を終えた夕方5時に浜松を出発し、陸路高速道路に乗って直江津へと向かいました。
嫁さんには「何もない船だけど、自分が岩手から帰るときには方まで利用した船だ。のんびりしてすごく良かった。」と伝えていました。夜10時過ぎに直江津インター流出。
すぐに最寄のイオンで夜食にするための軽食を買い込みました。

そして直江津港へ。
二隻のフェリーが着岸していました。久しぶりのこの船との対面に私はとても嬉しい気持ちでした・・・。
んが、ひとつ気になることが・・・
この日だけ直江津から室蘭行きの航路は満席でした。4人部屋は私たち夫婦ともう一組の夫婦でした。
静かな人たちでよかったです。
残りのお客さんたち、、こちらは全国規模で支部を持つ右翼団体の方々でした。
毎年この時期になると道東地方に出かけているようです。北方領土の見えるところに彼らが作ったモニュメントがあるようで、その清掃やその他の活動をしに行っているようでした。
それほど広くない公室で、彼らと一緒で大丈夫だろうかと思いましたが、あにはからんやとてもマナーの良い方々でした。むしろふざけあっているところとか、楽しそう・・
嫁さんも船内の同行のメンバーはさておいて、この船の必要にして充分と言った感じの構造をいたく気に入っているようでした。
平成17年はそんな印象のある北海道旅行になりました。

平成18年、申し訳ないですが17年のときと時期をずらして北海道に行きました。このときも直江津室蘭航路を選びました。
この年から特等室の販売を始めていました。嫁さんに特等室を取ろうと提案したのですが、2等寝台でも充分快適だと却下されました。
そして出発の当日。去年と日程をずらしたのにもかかわらず、またしてもその団体の方々で一緒になりました(爆)。
これにはさすがに私たち2人とも笑ってしまいました。

これまた私事ですが、この頃嫁さんの体の中に新しい命が宿っていました。
お腹の大きな嫁さんが階段を上がるときなどはこちらの団体の方々はどこと無く気を使ってくれていたような気がしました。
しかしまぁお風呂のマナーも良いし、公室で大笑いしている声がしたりもけど、どこかしら微笑ましいし、期せずして見覚えのある方々と一緒に北海道上陸になったのも今となっては良い思い出です。

平成15年新婚旅行 新日本海フェリー 復路フェリーらべんだあ編

このときに初めて新日本海フェリーを利用しました。
先に断っておきますけど、このときの新日本海フェリーの利用ですこぶるこの会社に対する私の脳内評価は落としてしまいました。
その顛末は以下の通りです。

初めての嫁さんとの北海道旅行はチョコチョコとしたトラブルもありつつもそれなりにつつがなく日程をこなし、無事最終日の小樽泊まで漕ぎ着けました。
小樽のホテルをチェックアウトしてフェリーターミナルに向かいます。そこには2隻の大型フェリーが待っていました。
片方が私たちの乗船する予定のフェリーらべんだあ、もう片方は新潟航路の恐らくあざれあ・しらかばのいずれかだったと思います。
素人目に見ても私たちがこれから乗ろうとする船のほうがくたびれていました。
まぁそれでもスウィートルームだからと気を取り直して乗船。船室に入ってみたら、やっぱりどこかしらくたびれていました。
専用テラスがあるといっても特等室側のデッキとは簡単な仕切りがあるだけで、簡単に外部から侵入できるものでした。

それでも午前10時頃の出航のときは小樽の景色を眺めることもできたし、カモメの飛び交う様子も楽しめました。当時はまだあったスウィートルーム利用者のみ限定の操舵室見学もしました。
船長さんの説明で今日の航海は殆ど揺れのない快適なものになると思いますという案内がありましたが、往路2日目の時化のことを思うとそれだけでも良かったと思いました。

この日は新婚旅行の締めくくりとして夕食はグリルを予約していました。
そのグリル、外から眺めてみると一部の席を除いて椅子をテーブルの上に逆さにして上げていました。
「まさかこの状態で夕食をとるわけではあるまい」という私の気持ちはあっさりと裏切られました。

一応コース料理として出て来ますが、グリル内の7割がたのテーブルの上には椅子が積まれてあり、なんだか閉店間際の料理屋で従業員が賄い食を食べているような様相でした。外から見えるし、まるで見世物にされているみたい・・。
出してくる料理もいかにもレストラン営業の合間に作りましたよ的なへたくそな盛り付け。味も船内レストランに出てくるものを適当に選んで皿の上に乗せたみたいな美味しくないもの。これはまだまだ船ヲタではなかった私でもしょうがないと思えたのですが、給仕する男性の方は先ほどまで売店でレジを売っていた人。
百歩譲ってそれを受け入れたとしても、その人のユニフォーム、いったい何日洗っていないんだと思えるくらい袖が真っ黒で不潔でした。
それをも見なかったことにしたとしても最後に出されたデザート、同じものがレストランでアラカルトメニューに出されていました。何百円とか言う値段もありました。
こんなことなら5千円も出してグリルを利用しなければ良かった。と後悔しきり。

そして極めつけ、舞鶴が近付いて居てくると案内所の女性がかぎの回収にやってきました。
曰く、ドアは開けたままにしてください。と。
早く船室から追い出す気満々だったんですね。
その策略にはまって着岸よりだいぶ前にホールに荷物を持ってでてきました。
正直なところ新婚旅行を最後の最後で台無しにされたような気分でした。船ヲタとしての観点で見ると、フェリーの客室乗務員の数は限られているからそれはしょうがないよとか、そういうエクスキューズは出てくるのでしょうが、一般ユーザーの眼から見るとそういう扱いは許されるものではないと考える人が多いと思います。その後、旅行好きな私たち家族の間で、北海道行きの行程で新日本海フェリーを利用するという考えは全くなくなってしまいました。

注釈;しかし、その後その評価を改めていくことになりますよ。新日本海フェリーのファンの皆さん心配なく。  
その次に新日本海フェリーに利用したときの記事はこちらです。
プロフィール

U-BOAT

Author:U-BOAT
福岡県出身。縁あって静岡県浜松市に住み着いて10年になります。
いろいろなことに挑戦してみたいという気持ちは常にありますが、実力が伴っていません。
凝り性ではありますが、ネットの世界では私よりも知識の深い人はいくらでも居ます。
趣味も旅行を始め、多岐に渡ります。ジャンルにとらわれない少しばかり濃い目のブログを作っていきたいと思います。
ご指導、ご鞭撻よろしくお願いします。 2010年8月

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