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ホンダビートのエアコンを修理してもらいました。

ホンダビートのエアコンを修理しました。
その前に8月にユーザー車検で車検を取ったりしたのでそちらの記事を先に書くべきだったんですが、めっきり涼しくなってからエアコンの話題をしてもしようが無いですもんね。

平成21年3月に手に入れたとき、とりあえずエアコンをオンにすると除湿された風が出て来ていました。
といっても真夏の炎天下では送風口に手を当てれば多少冷えた風が出ているなと分かる程度でした。

ビートのエアコンは良く壊れるとか、効かないとかネットの個人オーナーのブログでも良く書かれています。
エアコンが効いているだけラッキーだし、こんなものかなーと思って乗っていました。

しかして今年平成22年の夏は大変な猛暑でした。
7月あたりからエアコンが殆ど効いていないというのは確認していました。エアコンが最初から装着されていないのであれば諦めがつきますが、装着されているのに冷たい風が出ないというのは結構ストレスがたまるものです。

9月半ば夜10時半ごろ仕事が終わって家に帰るとき、あまりに蒸し暑いのでエアコンをオンにしてみました。
生ぬるい風しか出てきませんでした。
そのとき思い切ってエアコンを修理する決心がつきました。(雨の日に除湿が出来ないのもストレスですからね)

エアコンをオンにしてコンプレッサーにスイッチが入るのは分かりました。異音も出ていないよう。
コンプレッサー交換にはならなさそう。と言うことでこちらで最近お世話になっている工場に相談に行きました。

私のビートは17年落ち。ということですごく渋られました。
古いから現在の悪い場所を特定して修理しても次に弱い場所からまた漏れるを繰り返していたちごっこになると。
確かに修理してもすぐに別の場所が壊れたとなれば一般ユーザーとしてはクレームが出ること必至です。
私もエアコンの原理は勉強したことがあるので工場のご主人の言っている意味は分かりました。

結局工場のご主人に古いエアコンは、ちゃんと修理してもすぐに別の場所が壊れるとかそういうトラブルは起こりうるというのは承知していると伝えたうえで修理を受任してもらいました。

実はひとつ考えていることがありました。
ホンダビートが発売されたとき、世の中にはまだフロンガスの規制はありませんでした。
その後旧型フロン(R12)の規制が始まり、生産できなくなりました。
旧型フロンを使用することを前提としたエアコン回路には、基本的には新型フロン(R134a)を使用すると壊す可能性があります。そのため、旧型フロンの代替フロンなるものが登場しました。

代替フロンとはいうものの、実はR134aベースのフロンでした。ですから代替フロンをちゃんと使っても壊れるときは壊れたのです。
(素人の中途半端な知識ですが、R134aの方がエアコンの内圧がR12より高くなるということ。R12フロンはそれ自体が潤滑性があり、エアコン回路にとって優しいということなど、その他諸説あるようです)
そんなこんなの理由から私は、自分用にR12フロンガスは4キロほどストックしていました。
R12フロンを入れてもやはりビートのエアコンはあまり効かなくて、しかもすぐ壊れるかを検証したかったわけです。(偉そうなことを言いますけど)

パイプ
下請けの電装屋さんのチェックで漏れる箇所はすぐに特定できました。フロンガスの量をチェックするための窓の周りからでした。写真の矢印で分かるようにスニソオイルでジットリと汚れています。
幸いその他エクスパンジョンバルブもコンデンサーもすべて大丈夫そう。
この配管とリキッドタンクを交換して、その他のシーリングも交換して後、真空引きをしてもらって3日間ほっといたのですが、圧力に変化なしと言うことで回路は大丈夫だと確認。現在となっては貴重なR12フロンガスを補充しました。

ダイフロン12
修理から上がった後、エアコンはどうかと言うと・・・良く冷えます。
手に当たるところが痛くなるくらいの冷風です。
要はこれがどれくらい持続するかと言うことですが、あえてチョコチョコ使用してその後の状況をお伝えしようと思います。
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平成15年春 馬路村へツーリング

愛媛に住んでいる2年間の間で一度だけツーリングに行ってきたことがあります。
その時お供してくれたバイクはこれ。

ラビットS202
原付だから初年度登録の確認は難しいけど、どんなに新しくても恐らく昭和43年製。生産実績から考えると昭和42年登録が正しいと思います。富士重工ラビットマイナー90です。購入までの顛末はいずれかのときにこのブログで公表します。 平成14年の夏に手に入れてから約10ヶ月、自分で適当(!!)に整備してようやくまともに動くようになったから、こいつでツーリングに行こうと思い立ちました。

mapumaji.gif
場所は何となく馬路村にしてしまいました。
理由は特に思い出せませんが、かつて森林鉄道の走っていた町がどんなんだったか見てみたいと言う気持ちがあったからだと記憶しています。
愛媛に来てようやく1年弱、平成15年春(3月末か4月頃?)嫁さんに許可をもらって一泊で遊んできました。

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平成22年9月3連休の旅

9月の3連休を利用して旅行に行ってきました。
目的はオレンジフェリーに乗るためだけ・・・。大阪から東予へおれんじ8乗船。翌日にはおれんじ7東予発昼便で帰ってくるのですが、わざわざ3連休の中日に帰ってくるのはおれんじ7の昼便で大阪に夜10時前に着いたとしたら、浜松に到着は午前様になってしまうからです。
子供はもう幼稚園に行っているし、親の趣味につき合わせて幼稚園に眠くて行けないというのはさすがにまずい・・と言うことでその顛末は以下の通りです。


自宅は朝の7時半には出発。といっても仕事をほんの30分弱しなくてはならず、実際高速道路に乗ったのは8時前くらいでした。
浜松インターチェンジの広域情報では既に豊田ジャンクションのところに渋滞が18キロほど出来ていました(爆)。
まぁそれは想定内として渋滞に引っかかるまでは80キロ程度でゆっくり進み、無事渋滞好発エリアへ突入。
渋滞といってもちゃんと静々と進み、1時間弱でこのエリアを脱出。
東名高速をそのまま行くと日進ジャンクション辺りに事故渋滞があったものだから伊勢湾岸道へ。
・・・しかし・・、こちらはこちらで私が豊田周辺の渋滞にはまっている間に四日市あたりで事故があったらしく、酷い渋滞が出来ていました。
こちらの渋滞も相当に酷く、冷静に考えて大阪南港にどんなに遅くても12時半までに到着することは困難と判断し、電話でキャンセルさせていただきました。
検討の結果、午後3時半頃神戸発のジャンボフェリーに乗船することに決定。
オレンジフェリーよりもずっと安価になるから、浮いたお金でTシャツの大人買いでもしようか?などと車内で話したりしていました。
オレンジフェリーの大阪発の昼便で無駄に食事を頼むのを楽しみにしていましたが、夢かなわず。しかしジャンボフェリーのうどんを食べるのも良いか!と気持ちを切り替えて進んだのですが、関西圏で更なる渋滞に巻き込まれ・・なんとジャンボフェリーにも間に合いませんでした(爆)!!

やれやれ、、腐ってもしょうがない。このまま運転を交代しながら明石大橋を渡って四国入り、夜7時には目的地の西条市へ到着しました。
しかしながら、神戸の渋滞を抜けた以降は全く渋滞も無く四国ではすいすい移動できました。
明石大橋から見る瀬戸内海も奇麗だったし、鳴門海峡も奇麗だった。それで良しとしよう!!

そんなこんなで本来はおれんじ8の中で昼食、夕食を食べるはずが西条市内のどこで夕食を取るかと言うことになってしまいました。
いろいろ考えた結果、どこでもあるようなファミレスに行くくらいならとオレンジフェリー東予港へ(爆)!
石鎚食堂に入りましたとさ。
東予入り口 東予看板
中に入ってみると既におでんのメニューが始まっていましたが、今年の猛暑を考えるとまだちょっと早いかな?
限定メニューなるものもこんな感じでした。
おでん看板 限定メニュー看板


食べたものはこんな感じ。
焼きそば 焼肉鉄板 もやし鉄板 うどん
全体的にビールが飲みたくなるメニューが多かったです。

一日目は多少不完全燃焼だったんですが、誰かを恨めば気が晴れると言う事でもないのでそこは割り切ってホテルでくつろぎました。
宿泊したホテルは西条アーバンホテルと言うビジネスホテル。最近のお気に入りのホテルです。
新しくて清潔感があるのももちろんですが、大浴場が最上階にあって景色が奇麗なんです。
それまでは西条国際ホテルと言うホテルを良く利用していました。
こちらは地方都市にありがちな結婚式にも利用できる施設を持ったビジネスホテルで、少々施設は古いのですが、エントランスなどが凝っていて高級感があるホテルでした。ただし大浴場が無いものだから最近は全く使っていません。
パソコンをつなぎメールチェックをしたりした後はさっさと10時頃には寝てしまいました。

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ホンダビートについて

beat 前

その生い立ち、クルマのスペックなどはネット上でいくらでも手に入るので、わざわざここでは書きません。
このクルマが発表された当時、私はホンダ自体があまり好きではありませんでした。(ホンダのファンの皆さんすみません。)

理由は特別無いのですが、強いてあげれば親戚にマツダのエンジニアが居たから何となくマツダの肩を持っていただけでしょう。 当時のことを思い出してみるとマツダはマツダで今なおモデルチェンジさせながら継続販売しているマツダユーノスロードスターを発表していましたね。
クルマの完成度から言ったら後者の方が圧倒的に作りが良かったような気がしています。
ビートはというと、発表当初は軽自動車初のアレコレというセールスポイント(ミッドシップであるとか、4輪ベンチレーティッドディスクブレーキ標準装備とか)がたくさんあったけど、発売後メーカーはいろいろなトラブルの対応に見舞われ、その対策に追われたという記憶があります。

別に頼まれたわけでもないのにマツダの肩を持つものだからビートとロードスターを比較してみて、ビートの幌の作りの悪さ、ディスビの欠陥によるエンジンブロウの危険性、コンピューター故障のリスク、などを論ってみたりしました(買えもしないくせに)。
決定的だったのはわざわざミッドシップにしているのに前後の重量配分が50対50になっていないということ、リアヘビーなんですね、このクルマは。
そういう詰めの悪さを貧乏学生風情が評論家気取りで頭の中で反芻して、そのまま忘れてしまうわけであります。


時は流れてビート生産中止からまもなく20年。あれだけ悪く思っていたビートを買ってしまいました。本当は好きだったんですね。
たまたま良い個体にめぐり合えたこと、値段もお手ごろだったこともありますが、手に届かないところにあると思っていたからとりあえず悪く蔑んでいただけでしょう。

2009年3月、静岡県三島市で車を引き取り浜松まで乗って帰りました。
その印象・・とにかく疲れる。     シートの出来が悪すぎて連続運転は30分程度が限界だと思いました。
その後の雨天の日、幌は新品なのに室内にかなりの雨漏りが認められました。
そこでいろいろ対策を練る事にしました。

beat 後ろ
この後姿を見てリア周りがファットだと感じた方が居たとしたら鋭い!
手に入れたときのリアのタイヤサイズが175/65/14だったんですが、それを純正サイズと勘違いして同サイズの新品のタイヤに変えてしまいました。正しくは165/60/14です。一回り以上大きいものを買ってしまいました(涙)。


白い船 愛媛版 (平成14年7月から平成16年5月まで愛媛の職場にて)

白い船

愛媛県新居浜市に拠点を移し、仕事に励みました。確かに仕事は大変でした。
最初の一年はろくに夏期休暇も取れないほどでした。
来る日も来る日も仕事に忙殺されていました。いま振り返ってみると明らかに過重労働で何の対策もしてない良くない職場だったです。

場所は新居浜市の海岸線近く、燧灘(ひうちなだ)を間近に見ることができました。
朝9時過ぎ頃、ふと海を見てみると大小さまざまな貨物船やタンカーに混ざって白い船を見ることができました。
その時は西の方に向かっているのですが、数時間後にはかなり近いところで東に向かっているのが見えました。

真っ白な船体に青いラインが一本入っている、形は普通にフェリーだというのは分かりましたが、当時はまだそれほど熱心な船ヲタでは無かったものですからそれがオレンジフェリーの神戸航路、おれんじエースだと気付くには暫く時間が掛かりました。

漠然と眺めて「ああ・・休みがあったらどこかに行きたいなぁ・・・」と思った記憶だけはしっかりあります。


後日何となく休日に新居浜東港にぶらっと立ち寄りました。
人気の無い2階待合室に行くと、シャッターを下ろしたお土産物屋さんが3軒程度ありました。
1階の切符売り場に寄って、受付の女性にパンフレットをいただきました。
「なんか船の紹介をしているパンフレットがあったらください。」

その方も意外に親切な方で「今はそういうパンフレットは無いのよ」と独り言のように言いながらカウンターの下のほうをゴソゴソ探して、「だいぶん古いけどこんなんだったらあったわよ」と一部くれました。

捨てるものではないのですが、どこに仕舞いこんだのかも分かりません。
確かおれんじ8の写真は確実に無かったからエースとニューおれんじ?おれんじ2?あたりの紹介のパンフレットをいただけたのだと思います。

いつかそれがでてきたらアップします。

生まれて初めての船旅

今までの船旅の中でいつのものが一番古いやつだろう?と考えてみたら、高校の修学旅行よりも更に前のものがありました。
昭和57年の2月頃、松山から広島に行ったときのことです。
行程は福岡から松山へ、2泊後松山から高速船に乗って広島へ、その後新幹線で福岡へ戻るという日程でした。

福岡から松山へどうやって移動したのだろう???それがどうしても思い出せ無いのですが、復路の高速船が記憶に残っているのは「へぇ、船に乗るのかぁ。」と思った覚えがあるから。
多分(恐らく)往路は飛行機で移動したような気がしています。東亜国内航空だっただろうか? プロペラ機だったような??だとするとYS11だったかも?

港に着いたとき、高速船を見て「少なくともホーバークラフトでは無いんだな」と思った覚えがあるような、無いような。
水中翼船であったような記憶があるのは私の頭の中で勝手にそんな風に思い込んでいるのか、普通に現在のようにジェットフォイルみたいな船だったのかもしれません。

唯一はっきり記憶に残っているのは、誰か私が乗り込む前に私のシートに座っていた人が乳酸系飲料をこぼしていたらしく、気がついたらズボンの右のお尻の辺りがベトッと汚れていたこと。
気持ち悪りーと思いながら広島から福岡に帰った記憶だけはしっかりと残っています(涙)。

今までの旅行の記憶

ごーるど朝日
元来放浪癖があるため、暇さえあればふらふらと旅行に行ってきました。学生時代は先立つものが無くておとなしくしていた方だと思いますが、社会人になった現在の方が活発に活動していると思います。

その中でとても印象に残った旅行もあれば、手帳に記載していても殆ど記憶に残っていない旅行もあります。
完全に忘れる前に文章に残しておくのもいいかなと思った次第。
例によって写真なんかまったくというほど撮っていないから文章メインです。船旅に限らず、ローカル特急、寝台列車、たまには飛行機も登場します。それこそ記憶をたどるカテゴリだからいつかネタ切れになるかもしれませんが、よろしくお付き合いください。

写真は先日乗船したさんふらわあごーるどから朝焼けを映したものです。
実際に自分が朝焼けを見て「しまった!こんなに早くに目を覚まして損した!!」と思ったら若者。
「こんな奇麗な景色を見ることができてよかった!」と思ったらおっさんだと思います。私は後者ですね。

ホンダビート 購入顛末記

ビート
2009年3月のある日、職場の元同僚の家に遊びに行きました。(あんまりしつこく誘うので)
その当時(現在にいたるまで)彼は家業を引き継いでおり、立派な成功者でした。
私のブログなんか絶対に見ないだろうから書いちゃいますけど、生活の差を感じさせられるのが嫌であんまり遊びに行きたくは無かったんです。
彼は空冷最終型のポルシェ911なんかも持っています。(くそー)
ホンダビートも持っています。そういうのを合わせて4台持っています。その中に軽トラなんかがあればかわいいんですけどね。そんなものはありません。良い(新しくて高級な)車ばかりです。

ポルシェには助手席にでさえ乗せてくれないけど、ビートは運転してみろと言われました。
万一ぶっつけたらいやらしいから遠慮したんですが、結局運転させてもらいました。
印象としては、乗りにくい車だなー。

バイブレーションもあるし、狭苦しいし、でも何となく印象に残る経験でした。
後日、仕事の関係でスズキのエンジニアの方にお会いしました。
雑談の中でバブル期の軽自動車の話になったんですが、スズキカプチーノもホンダビートも今後あんな車は出ることは無い。と言っていました。
「どして?」と尋ねると、「社会全体が儲かっていた浮かれた時代だからあんな車も出せた。でも、作れば作るほど赤字になる車だった。買う人も限られるし、会社がどんなに儲かっていても、もう出さないと思う。」
要約するとそういうことだったんですね。時はまだリーマンショックが訪れる前、スズキ本体も好調の頃です。

そんなことを言われたら俄然気になりだして、居ても立っても要られません。
思わずインターネットオークションや中古車雑誌を見たりしました。その中に比較的まともそうな個体があるのに気付きました。
とりあえずオーナーの方に連絡してみました。
電話で話した感じでは胡散臭くはなさそう・・・。
夜8時頃、嫁さんに思い切って相談してみました。
「オデ、車の整備も車検もできる限りやってるじゃない、そういうのに関わる経費は安くついているよね?」
「そうね。」
「こないだも食器洗浄器も付けてあげたでしょ?」
「いったい何が言いたいの?」
「クルマ買って良い?」
「・・・・」
当然断られると思っていたのに、意外にオーケーをいただきました。
このクルマです。車両代金38万円、名義変更は軽自動車協会に行って自分で済ましたので、必要手数料のみ。
嫁さんの車を含めて我が家で一番高価なクルマが加わりました。

W116 280SE 初めての個人輸入と一回目のユーザー車検

どう見てもボロボロに腐りきっているマフラーの代わりを(安価で)手に入れる方法を考えて見ました。
国内のマフラー工房に発注してステンレス製やはたまたチタン製のマフラーを特注すれば今後ずっと困ることは無いと思ったのですが、22年落ちの大古車を手に入れた直後から大枚をはたく勇気はありませんでした。

そこで個人輸入に頼ってみることにしました。
ヤナセの正規輸入車は当時アメリカ向けのバージョンとほぼ同じ諸元の物が多いと聞いていました。
そのためアメリカの部品商をいろいろ調べてみたらAdsit Companyという会社が古いベンツの部品のストックを持っているという情報を手に入れました。
そこで、この会社のホームページにアクセスしてみると、確かに私の車のマフラーの在庫があります。しかも安いです。二つ合わせて5万円弱。
他には手が無いとこの会社に発注を掛けました。
私のクレジットカードの番号を入力して送信完了、submitの文字が出たから受注で来ていると思うのですが、何の連絡もありません。せめてオーダーありがとうとかそんな連絡も無く、見積もりがこうだとか、いつ発送したとかそんな連絡さえ一切ありませんでした。すっごく心配になりましたが背に腹は変えられぬと待ってみることにしました。

待つこと2週間あまり、突然福岡空港そばにある○○通運から電話がありました。私の荷物がアメリカから届いている、通関手続きの手数料は2万円だが手続きをする代わりにサービスで自宅まで持って来てあげると・・・。
「その代わりに」とは何だぁ?だいたい国内外の運送業者が提携している場合はいずれかの運送業者が金を取った場合は、他方の業者はタダで配送を担うもの・・(例えば海外に手紙を送るとき、国内で国際郵便の料金を払うのみで日本国内と送った先の国にそれぞれ料金は払わないですよね)
その○○通運の言い方が気に入らなくて「(いまだかつてしたことは無いけど)自分で通関手続きをしてみます。」と言ってしまいました。

2日後、仕事を早くに切り上げて福岡空港へ。○○通運の支店でインボイスなど関係書類をもらって税関窓口に行きました。自動車部品には関税が掛からないことなどここではじめて知りました。お役所の彼らは書類を書く手伝いはしてくれません。だって一人にしてあげたらみんなにしてあげなくてはならなくなりますから。
日本国内から発注したので、マフラーの代金分の消費税は最寄の銀行で払う必要がありました。(税関では直接お金は受け取らないことになっているようです。)
その後、少し離れた福岡空港の倉庫に行って2日分の保管料なども支払い、無事通関。
送料なども込みで総額7万円足らずで済みました。

マフラーはリアマフラーがボーザルというアメリカ製の社外品で、センターマフラーがアンサでした。イタリア製ですね。日本からアメリカに発注を掛けて届いた部品がイタリア製・・なんのこっちゃ。

その後、私のバイクの悪友(といっても一回り年上なのですが)の方とともにマフラーを交換。
22年間一度も緩めたことの無いボルト類を緩めるのは大変な苦労でした。
長年の風雨にさらされ錆だらけになったステーなどもホームセンターに有る部品などを駆使して代用品を作りました。
そして車検場へ。途中のテスター屋さんでライト光軸の調整だけして、車検に挑みました。
リアブレーキがやや甘いなど多少の問題はありましたが、無事合格。
部品代などあわせても18万円程度でこのクルマを乗り出すことになりました。
しかし、まぁ前オーナーのときの工場、部品代だけで38万といったみたいだけど、残りの18万とはいったい何のことだったんだろうか・・怪しい工場だといまでも思っていたりしています。

マフラー

写真は9年後、現在のマフラーの写真です。交換前にジンクリッチスプレーでしっかり養生したのですが、結構錆が出ています。ここの対策は今後の課題としています。

W116 280SEを手に入れたときのこと

この車を手に入れたのは平成14年の冬だと記憶しています。
多分私の故郷の町で登録している車で普段の足として動いている車としては最古級だったんではないでしょうか?
市内に黒くて古いベンツが走っているのは知っていましたが、その持ち主は偶然にも私の父親の知り合いでもありました。
そんなことで父親に「あの古いベンツの持ち主の人に要らなくなったら声を掛けてって伝えて」と言ったところ、父親も苦笑いしながら「まぁ言ってみとこう」と返事してくれました。
果たしてその時期は意外に早くにやってきました。

何ヶ月もしないうちに「今度の車検を通すのに部品代だけで38万掛かるといわれた。もう維持は無理だから処分したいがいくらで引き取ってくれるだろうか?」と父親に連絡がありました。
私は「当然タダで!」と即答したところ、父親は「恥ずかしくてそんな返事はできない・・・」と答えてきました。そう、私の父親は私と違ってまともなんです(爆)!!

そんなことでこの車とは縁が無いのかなぁと思い始めた頃、オーナーの方から「ウンともスンとも動かなくなったから、持って行ってくれ」と連絡がありました。

そういう時は行動が早いんですね。
すぐになじみの工場にお願いして引き取りに行きました。
ウンともスンとも動かないはずのベンツは(その時は)セル一発でエンジンが掛かり、動き出しました。
(後に判明するのですが、セルが飛び出さなくなって時々エンジンが掛からない状態になるようでした。)
とりあえず自宅の敷地においてもらい、私が動かしてみることにしました。

普通にエンジンはかかり、オートマミッションをドライブに入れると普通に動き出しました。
全長5メートル弱、全幅1メートル90センチくらい、70年代のフルサイズカーですから用心しながら前に進め、最初に敷地を出るために大きく左にハンドルを切ったとき、この車はいい車かもしれない・・と感じさせられました。たったそれだけだったのにすごく取り回しが楽だと感じたのです。

若いときはベンツ嫌いだったんですけどね。何となくね。
なんかこう、クラスで成績の良い優秀な同級生が居たりすると、仮に性格が良くても成績が良いという理由だけに嫌いになりたがる人って要るでしょう?そんな感じだったんですよ。

ちょうどそれまで乗っていた車が寿命を迎えつつあったので、この車を維持してみようと考えました。
とりあえずその当時の自分で分かる不具合はマフラーが破れて音が大きいこと、足回りにガタが出て多少ふらつくこと。
前オーナーが言っていた部品代だけで38万とは何だろう?とりあえずヤナセに今度の車検までに絶対交換が必要と考えられるセンターマフラーとリヤマフラーの在庫状況と値段を聞いてみました。

一つ一つの値段は覚えていませんが、二つ合わせて20万円くらい。国内在庫無し。
ここでいきなり維持計画は暗礁に乗り上げることになりました。

阪九ベンツ
もちろんこうやって現在も長距離移動も難なくこなしているのですが、次は一回目の車検にいたる顛末を書きます。
プロフィール

U-BOAT

Author:U-BOAT
福岡県出身。縁あって静岡県浜松市に住み着いて10年になります。
いろいろなことに挑戦してみたいという気持ちは常にありますが、実力が伴っていません。
凝り性ではありますが、ネットの世界では私よりも知識の深い人はいくらでも居ます。
趣味も旅行を始め、多岐に渡ります。ジャンルにとらわれない少しばかり濃い目のブログを作っていきたいと思います。
ご指導、ご鞭撻よろしくお願いします。 2010年8月

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