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頑張れ、太平洋クラブライオンズ!!

2010年の西武ライオンズはライオンズクラシック2010と銘打って太平洋クラブライオンズのユニフォームを着て出て来る日程が組まれています。
太平洋クラブライオンズ、それは私が小学校低学年の頃、まだ福岡にライオンズが有った頃西鉄ライオンズから引き継がれた新球団の名前です。昭和48年から昭和51年くらいの4年間、それは圧倒的に読売ジャイアンツが強かった頃。テレビでは常にジャイアンツの試合の中継があったし、オロナミンCの宣伝も誰かしら巨人の選手が台詞棒読みで「オロナミンC!」なんて言っていました。
そうなるとどうしても田舎の町に住んでいる少年たちは巨人ファンが増えてくるわけで・・・
恥ずかしながら福岡から出てことの無かった私も王貞治選手の大ファンでした。

同じく巨人ファンの父親に尋ねたことがあります。「お父さん、巨人は東京の球団だよね?福岡には何かあるの??」
曰く、「ライオンズがある」
・・・・ライオンズ???・・・頭の中は何それ?何それ?何それ?状態です。福岡市に住んでいたらまだしも田舎の町に居るとライオンズがあることさえ知らないというくらいにもはや誰も応援していなかったんです。
それでも郷土愛という物を多少は持ち合わせていたのか、好きな球団はセリーグは巨人で、パリーグは(一応)ライオンズ、と言っていました。

当時のライオンズの公式試合、それは近年の川崎時代のロッテオリオンズに相通ずるものがあるというか、観客もまばら、外野で守備につくライオンズの選手に向かって誰かが野次を飛ばすとその選手は振り返ってやじった観客を睨み付ける事が出来るくらいに少なかったようです。

ところで話は当時のことになりますが、西鉄が球団経営に興味をなくし昭和47年に撤退したとき、ライオンズを引き継ぐことの出来る企業は地元経済界にはありませんでした。(ペプシコーラに決まりかかった時期もあるけど流れました。九州電力という案もあったけど、公共性の強い企業体がプロ野球チームを持つというのもいかがかと言う意見があったようで、流れました。)
そこで中村長芳氏が個人オーナーとして球団を買い取り、メインスポンサーとして太平洋クラブが参加するという形で福岡に留まることが出来たようです。

しかしそんな新オーナーの温情もどこ吹く風、地元経済界は新生ライオンズには冷ややかだった様です。むしろ、フランチャイズの平和台球場の使用料を一方的に値上げしてしまうなどの嫌がらせまがいの行為もあったよう。
その辺は大人の事情もあったようで、当時の子供たちは分からなかったと思います。現にこれら事実を私が知るのは本当に最近のことです。
スター選手も居ない、経営基盤も脆弱な球団だったんですが、少しでもみんなに振り向いてもらおうとあんなド派手なユニフォームを採用したようです。

ライオンズクラシック2008のとき、西鉄ライオンズ黄金期のユニフォームが登場しました。ドイツ花文字で胸にLIONSと書いてあるのは今見てもかっこいいと思います。しかし、今年太平洋クラブのユニフォームを登場させるとは全く予想がつきませんでした。
浜松に来た今でもホークスを応援している私ですが、今年はライオンズに優勝してもらいたい、できれば太平洋クラブのユニフォームで胴上げシーンがあったら中村オーナーも草葉の陰で喜んでくれるだろう・・・と思いましたが、太平洋クラブのユニフォームを着て試合をするのは8月29日が最後のようですな。トホホ・・

西鉄L帽子
写真は西鉄ライオンズ黄金期の頃の帽子。西鉄の帽子といえば2008年ライオンズクラシックのときのNとLを組み合わせてモノが有名ですが、こういう時期もありました。
稲尾和久投手が38勝したときの帽子だと記憶しています。

西鉄シャツ
こちらは西鉄終末期のユニフォームを真似たTシャツ。
晩年は卵色っぽい白でライオンズのマーキングにオレンジ色の縁取りがなされていました。
これが子供の頃にはセリーグの覇者であるジャイアンツのユニフォームを真似たパリーグ最下位球団という印象で、悲しかったです。
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平成22年8月さんふらわあごーるど乗船記 

8月28日土曜日、私の職場に関わる研修会が大分でありました。同じく新潟でも似たような研修会が8月29日の日曜日にありました。
どちらかには行こうと思っていました。今回の出張は仕事の都合から一泊しかできません。ついでに嫁さんと子供をつれて家族旅行を兼ねる訳にはいきませんから、久しぶりに一人だけで出ることにしました。
28日の大分の研修会は偶然にもダイヤモンドフェリーのターミナルの目と鼻の先であります。
新潟は朱鷺メッセであったんですが、タクシーで新日本海フェリーのターミナルまで移動して月曜日の朝敦賀着、そのまま職場に出勤というのもしんどいので大分の研修会に参加しました。

8月28日は普段より一時間早い4時過ぎに起床。日課にしているジョギングをして朝食を食べた後、浜松駅に自転車で向かいます。実は事前にこの日のためにJR東海のエクスプレスカードに入会しました。
3日前くらいまでに予約をしておけば料金も割引が効くようです。例として東京博多間だと3000円くらいお得だとあったので、年会費を払ってでも入会しておいて良いかなと思いました。
しかし実際のところ、浜松から小倉だと正規料金より1000円強の値引きのみの16000円くらい、競合相手が居る区間とそうでない区間では割引も変わってくるようです。良く考えています。
一応今回の出張で年会費分の元が取れたと思いましたが、浜松-博多/小倉間を往復で買えば28000円で済む企画切符もあるわけで、無理やりフェリーを織り込もうとするとちっともうまく行かないですなぁ。

性分に合わなければ解約すれば良いやと思いながらサクサクと小倉まで移動しました。
新幹線のぞみ
写真は名古屋駅に進入するN700系のぞみ3号、へたくそが撮るとこんな風にあせってだいぶ手前でシャッターを切るという典型のような写真です。
懐かしい小倉駅に到着するとすぐに駅付近の金券ショップに向かい北九州-大分別府間の特急券込みの切符を買います。
本当は指定席を予約できる切符だったんですが、なるべく早く大分入りをしたかったのでみどりの窓口には寄らず列車に飛び乗りました。私が福岡に居た頃は特急かもめに使われていた車両ですね。
にちりん

CMで「白い、速い、美しい!」とアピールしていました。
写真はありませんが、グリーン席でなくてもシートは本皮です。この車両がデビューするとき、福岡県大川市の家具メーカーの人たちが久しぶりにまとまった注文が入ったと喜んでいるという新聞記事を見たことがあります。
最初飛び乗ったときは立席の人も多く、無論私もそうだったんですが、柳ヶ浦から座ることができました。
どうやら大分で男性アイドルグループのコンサートがあったようです。
別府に12時20分頃到着。ここで食事をとることにします。
トリ天

大分といえば、トリ天。鶏の唐揚げのことですが、久しぶりにこれを食べたかったんです。
味付けしているのでそのまま食べても大丈夫ですが、お好みでポン酢と和カラシも付いています。
大分ではこれが大分の郷土料理であることを知らない人も多いらしいです。ちなみにあの大手チェーングループのケン○ッキーも大分県では苦戦するとか。
美味しゅうございました。
気温は30度を超えていそうですが、せっかくだから温泉に入ろうと思います。
駅前高等温泉

駅前高等温泉は10年以上前研究者もどきの仕事をしていた頃利用したら、中に同性愛のおっさんが一人だけしか居なくて危なかったといういやーな思い出があるからパス。
建物自体は古い洋風建築で趣はあるんですけどね。
海門寺温泉
そんなことで海門寺温泉を利用しました。私が最後に見た7年前までは鉄筋コンクリートのぼろい風情ある建物でしたが、新築されていました。今年の2月に落成したそうです。
料金は100円、別府市内統一価格が守られていました。ここでさらっと汗を流した後別府駅に戻り普通列車で西大分へ向かいました。
ごーるど1
道すがらさんふらわあごーるどが見えたので写真は一枚。
そして予定通り研修会に参加しました。

その研修会の途中、どうしても我慢できないことが・・・さっきのトリ天のおかげでのどが渇くのです。
やむなく休憩時間に自販機でお茶を買って、何気に外を見てみるとこれが見えました。
ごーるど2
この場所で、このアングルからさんふらわあごーるどを見るのは初めてです。思わず写真を何枚か撮りました。
いい年をした男がニヤニヤしながらデジカメで船の写真をパシャパシャ撮っている・・きっとその他の参加者の皆さんには奇異に見えたでしょう。分からんだろうなぁこの気持ち!!


そして夕方6時までの研修会も(一人だけ)軽い興奮とともに終わり、そのままフェリーターミナルへ。
ごーるど3
徒歩でわずか10分程度。普段は乗用車で移動が多いからまじまじと船を正面から見てみたりしました。
切符売り場に行くと今日の乗客はそこそこ居るようで、例のツーリストの無料ランクアップキャンペーンもしていました。
最初からスタンダードを予約しているこちらとしては「無料でスタンダードに入れます」と盛んにアピールしているのは微妙な気持ちになるのですが、万一部屋が埋まってしまっていたら悲しいので無難にスタンダードを予約しました。

徒歩乗船の利点、それは結構早くに船内に入ることができるということ。
7時半出航の予定ですが、6時半に船内に入りました。
すぐに入浴して、部屋着に着替えます。大浴場も清潔でした。
スタンダードシングル
これが今日泊まる部屋。
まぁ寝転がるだけと思えばそんなに不満も無い。おれんじホープの個室を想像していたからむしろ一人部屋としては大きく感じました。というか清潔にしているようですが、多少湿ったようなにおいがこもってはいました。内部屋で日光が入らないから仕方ないか。

それから7時に船内レストランへ。大人一人1500円。
普段家族で乗るときは子供が騒いでも迷惑にならないように人の少ない奥のほうに入ることが多いのですが、今回は一人ということでギャレィの近くの席を陣取ります。
そう、新しい食材が補充されるのをチェックするためです(爆)。しかし船内レストランの利用率はすごく良いと言うわけではない様で、新たな異なる食材の追加される事はありませんでした。
夕食ごーるど
業務用食材のオンパレードなんでしょうけど、それなりに満足して部屋に戻りました。
朝4時から行動開始だったため、程なくして意識を失い、気が付いたら11時過ぎ、愛媛県今治沖を通過中で自販機のところでは携帯電話のアンテナが立ったので職場に連絡などをしました。

そんなこんなで再び入眠、携帯のアラーム設定の朝5時過ぎに起床して、まず朝風呂。
それから6時半くらいから朝食をとりました。
ごーるど朝食
ごーるど朝食2
しかしまぁ夕食といい、朝食といい、野菜ばかりとって元が取れてるんだか取れていないんだか分かりませんが、船を下りてどこかで食べるよりかはこちらの方がリーズナブルです。
明石海峡の下をくぐり、操業中の小型漁船の群れを眺めたりしているとやがて定刻7時50分に神戸港に着岸しました。
神戸の住吉駅から新大阪駅へ向かい、そこから新幹線のぷらっとこだまプランを利用して帰ってきました。
本当は近鉄特急で名古屋まで、そこから名鉄で豊橋までと乗り継ぎたかったのですが、あまり遊びほうけてもね。
こだま帰り
しかし帰りの新大阪発9時50分発のこだまは運転士が女性の方でした。
合コンとか行って相手の男性が乗用車のつもりで「何に乗っているの?」って聞かれたら「700系」と答えたりするんでしょうかね。この日のぷらっとこだま組はどうも当日名古屋で行われたスマップのコンサートに行く女性ばかりのようでしたが、まるで興味の無い話を周りでして居るものだから頭の中に浮いてくるのはそんなどうでもいいことばかりだったかな?

初代ジムニー

月に3回ほど静岡市に仕事で行くことがあります。
浜松駅から新幹線で向かうわけですが、浜松駅の新幹線乗り場への改札を通って中二階部分へ上がると浜松市に拠点を置く会社の車や楽器などの会社の製品が展示してあります。
2010年8月26日の時点ではスズキのジムニーが展示してありました。
現行型が一台と、もう一台はこれ。
ジムニー前
初代ジムニーです。この車の解説は、
ジムニー説明
こういうことだそうで、当時は軽4輪の4輪駆動オフロードーカーとして非常に画期的な車だったようですね。
子供の頃、かすかに記憶があるのですが、空冷2サイクルのジムニーの排気音はメーン、メーン、メエエエーーーンみたいな感じで、白い排ガスがもくもく・・・とあまりかっこいいと思った記憶がありませんでした。

しかしてこの車、4輪駆動に関わる特許はそもそもスズキのものでは無かったって知ってました?
現在では主に遊園地の遊具を作るホープという会社が特許申請していました。自動車生産に進出していたんですね。しかし、もともと中小企業でとても群雄割拠するその他大手ライバルメーカーに勝てるはずも無いと自動車生産から撤退しました。
そして、特許はというと当時360ccだった非力な軽自動車用エンジンではとても4輪駆動車は作れないと判断してただ同然でスズキに渡してしまったようです。

仕事上お会いしたスズキのエンジニアの方に「ジムニーってホープスターですよね!?」と意地悪く言ってみたらにやっと笑われました。「こいつ、何でそんなこと知っているんだ」と思ったんでしょう。
ところでこの車助手席にこんなものが乗っています。
ジムニー運転席
空冷エンジンだったから、多分燃焼式ヒーターだと思うんですが、どなたかご存知の方ご教授ください。

私と船旅 その馴れ初め vol5

この記事はこちらからの続きです。

湯船に使っていると少しずつ酔いが醒めて来ました。
昨晩フェリーターミナルに行ってはじめて気付いたのですが、このフェリーは2等寝台しかありませんでした。乗用車の航送料金にドライバーの旅客運賃は含まれているから、これに寝台料金を上乗せして払った瞬間「俺も出世したもんだ」と実感すること請け合いと思っていましたが、拍子抜けしました。

レストランあるフロアに上がってみるとちょうど朝食の時間でした。朝食は和定食が2種類、その他のトンカツ定食などのメニューも注文できたような覚えがあります。
レストランのメニューを見たときの印象、それは「そんなに高くないな」というものでした。
学生時代は高くて使えないという印象しかなかったんですが、社会人になって余裕が出来るとがらりと印象が変わるものです。もちろん瀬戸内海航路のフェリーのレストランでアラカルトメニューをいろいろ取るとそれなりに値段がするという印象は今でも変わりませんが。

私はというと昨日道中買い込んだ惣菜などがまだ大量にあったのでそれを食べました。
一晩たって油が回ったフライドチキンをもそもそ食べていたら、船内レストランで注文した食事を食べている人たちがとてもうらやましく感じられました。

このフェリーで初めてフォワードサロンから見る景色というものも体験しました。
天候に恵まれ、穏やかな日差しがサロンの中に降り込んでいました。海も青く、殆ど揺れもありませんでした。
ソファーに寝そべってまどろみながらゆっくりと時間が流れるのを楽しんでいました。
テレビではNHK BS放送が流れていました。日本人のルーツを探るみたいな番組の再放送があっていたと思います。
大まかに言うと遺伝子的には南太平洋のポリネシアとかミクロネシアとかそういうところから来た南方系とシベリアから来た北方系の人たちのブレンドとか言っていました。中国大陸や朝鮮半島とは直接的な関係は無かったようです。

20時間の船旅はあっという間でした。博多湾に入るため大きく舵を左に切るのが分かったとき、明日から再び研究施設での生活が始まるのかと思うととても悲しい気持ちになりました。

これが私がフェリーの旅行にはまるきっかけになった航海です。
しかし、まぁ何の予備知識も無く真冬の日本海に飛び出したわけですが、もしもその時荒れ狂う日本海で大型フェリーでさえ木の葉が舞うような感じで帰福したとしたら、生涯船を使う旅行はしない決心がついたでしょう。

その後旅行に行くときはフェリーで目的地付近まで移動、それから自家用車で観光というスタイルがメインになっていきました。

私と船旅 その馴れ初め vol4

この記事はこちらからの続きです。

岩手での3ヶ月間の仕事の中での思い出は別に機会を作って書くことにします。
年が明けた1月下旬、岩手から福岡に帰る日が近付いてきてそのプランをいろいろ考えてみました。
まず一つ目、東京まで自走しそこから東九オーシャンフェリーに車を載せて門司まで行くこと。
二つ目、秋田まで自走して新日本海フェリーに車を載せて敦賀まで行くこと。
三つ目、直江津まで自走して九越フェリーに車を載せて博多まで行くこと。

一つ目は船内2泊がネックになって却下になりました。
二つ目は秋田発が早朝になること、敦賀から福岡まで自走する行程が長いことなどから却下になりました。
九越フェリーの夜発、夕方6時に博多到着というスケジュールが非常に魅力的でした。

社会人になってそこそこ金回りが良くなってきたし、これまでのフェリー乗船の経験から景気良く2等寝台を取れば20時間の移動も楽だろうと思いました。自動車込みという機動力を生かして持ち込みの食料を贅沢に買っておくことにしました。

はたして直江津発の時刻が近付いてきたとき、私はニューれいんぼうらぶ(べる?)のレストランで一人でお疲れ様会をして居ました。
麦焼酎のボトルを開け、ケンタッキーフライドチキンやその他惣菜を食べながら船窓からの陸地がゆっくりと離れ行く景色を眺めていると、3ヶ月間と短期間ながら良くしてくれた岩手の職場の皆さんを顔が思い出されて胸が熱くなりました。(ゆっくりゆっくりと景色が遠ざかっていくこの別れのセレモニーは船にしかないものですね。)

麦焼酎は岩手で晩酌用に買ったもの、少し多めに残っていたから何とかして全部飲んでしまおうと思いましたが、結局べろんべろんに酔ってしまい、食料も変に余裕を見て買い込みすぎたからおなかがパンパンになりました。結局その日はそのままベッドにもぐりこんでしまいました。
翌日の朝少々2日酔い気味になりながら大浴場に入りに行くとトラックドライバーと思しき皆さんがこちらに背中を向けて洗い場で自身の下着をせっせと洗っていたのもほのぼのとした気持ちになりました。
                              
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私と船旅 その馴れ初め vol3

社会人になってからというもの、出張や遠方への旅行はもっぱら新幹線や、たまーに飛行機を使うようになりました。漠然とフェリーは学生時代に使う安価な移動手段という概念を持つようになりました。


話はがらりと変わります。私事ですが、これまでの社会人生活の中で4年間だけ研究者めいた仕事をした時期があります。
平成10年春から平成14年の春までです。一応論文モドキも書きましたが、それこそ便所で尻を拭く紙にもならないような情けない論文しか書けませんでした。しかしその4年間で少なくとも私には研究職という仕事は全く向いていない!!ということが分かったことだけは大変有意義な収穫でした(爆)。

そんな時期でも良い思い出というものがあります。平成13年の秋頃、岩手に居る私の仕事仲間からボスのところに、同じ事業所内で人員が減ったから派遣して欲しいという話がありました。
ちょうど私の仕事がひと段落した時期と重なったから、私が福岡から岩手に行くことになりました。
時期は11月から3ヶ月間、向こうでの扱いは日雇いで国民健康保険のまま。
その代わりといっては何だけど、寝る場所と寝具と調理器具、ガス、電気、水道くらいは事前に用意すると。
それでも差し当たって現状から離れることが出来ると嬉々として受け入れました。

10月下旬東九オーシャンフェリーの門司ターミナルに行って、車の航送を東京までお願いしました。東京の有明フェリーターミナルで車を拾って、そこから岩手まで陸路移動する手段をとりました。
二等席なら私が乗り込んで行っても料金が一緒と思うと何ならこのフェリーにそのまま乗って東京まで行こうかという気持ちになりましたが、日常業務上私に押し寄せてくる雑用の嵐がそれを許してくれませんでした。

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私と船旅 その馴れ初め vol2

大学時代はボート部に所属していました。オリンピック競技にもなっているあの細いボートですね。
2年生のときと4年生のときの夏の大会がそれぞれ大阪のどこかの運河を利用した競技場と琵琶湖の競技場でありました。
艇自体は競技場で貸し出してくれるのでそれぞれの大学のオールは各自で持っていく必要がありました。
競技場についてからの行動を考えると、やはり自動車があるほうが便利なのは明らかで、これらの年は部員の車で特に多く荷物がつめる車を選んでフェリーで移動をしました。
私の車はというといわゆる2ボックスカーで5人乗り、荷物もそこそこ積めたと思いますが、エアコンが無かったため選考から落ちました(爆)。
2年生のときは泉大津行きの阪九フェリーでした。そこそこ楽しかったのですが、硬いカーペットの上で一晩寝た翌日は体がきしんで辛かった覚えがあります。泉大津港はフェリーターミナルの近くに屑鉄置き場があって、着岸間際にそんな光景を見ているとどこかしらわびしい気持ちになりました。
4年生のときは神戸行きの阪九フェリーでした。
元来高速道路も満足に無かった地域に住んでいる生粋の田舎者にとって、神戸の高速道路網はとても運転しがたいものがありました。いったいどこでどう迷ったのか、大津へ行くはずが変な工業地帯に迷い込んで他のみんなに迷惑を掛けました。
そして大学生の最後の夏休み、ひとりで車の旅行に行ったとき神戸まで遠回りをしながら陸路走っていき、神戸から門司まで帰ってきました。
平成5年のことです。このときには船内のレストランも割高なのは分かっていましたからホカ弁を2個しっかり買い込み、船内に持ち込みました。5メートル未満の乗用車の航送料金が12980円、ネットも無かったからおのずと割引もありませんでした。カーペットにじかに寝ると腰が痛くなるから寝台を使おうと思いましたが、貧乏学生の身分ではその追加料金が出せませんでした。
そんなことを書いていると、お前あんまり楽しくなさそうだな!?と思われそうですが、実際それほど楽しく感じませんでした。そんなわけで社会人になると急激に船を利用する旅行という概念は私の頭の中から消えていきました。

私と船旅 その馴れ初め vol1

私と船旅の馴れ初めについて書いてみました。
まず、カーフェリーというものを認識したのは小学校に上がる前?上がった頃でしょうか?当事福岡に住んでいましたが、テレビで時々「カーフェリーさんふらわあ」のコマーシャルが流れていました。
あの「さんふらわあー♪さんふらわあー♪」のコマーシャルソングがとても斬新に聞こえてバカなクソ餓鬼だった私がそのフレーズだけ歌っていたような気がします。

実際に乗ったとは17歳の頃、高校の修学旅行で使ったのが初めてです。多分神戸行きだった記憶があるから阪九フェリーだったと思います。夕食はレストラン利用でしたが、朝食については記憶にありません。
食事の内容は、「揚げ物ばっかりでしょぼいかなぁー」と思った覚えがあります。
今みたいにデジカメでもあれば写真に残しておいたかもしれませんが、そんなものは全くありません。入浴についても一般利用客に迷惑を掛けないため、15分くらいで済ませるよう指導があったと思います。(脱衣場で体育教官が見張っていました。)

その後は大学のクラブの遠征で2度、あと車で一人旅をしたときが1度、いずれも阪九フェリーだったんですね。
どれも2等一般席を利用しました。学生の身分では船内レストランは高額に感じられて利用できませんでした。(修学旅行のときは旅行会社の交渉で夕食が出たんだなぁとか思った次第) 貧乏学生の悲哀を感じさせられました。
プロフィール

U-BOAT

Author:U-BOAT
福岡県出身。縁あって静岡県浜松市に住み着いて10年になります。
いろいろなことに挑戦してみたいという気持ちは常にありますが、実力が伴っていません。
凝り性ではありますが、ネットの世界では私よりも知識の深い人はいくらでも居ます。
趣味も旅行を始め、多岐に渡ります。ジャンルにとらわれない少しばかり濃い目のブログを作っていきたいと思います。
ご指導、ご鞭撻よろしくお願いします。 2010年8月

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